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沖縄県 読谷村

平成23年第400回読谷村議会定例会会議録 06月16日−02号




平成23年第400回読谷村議会定例会会議録 − 06月16日−02号







平成23年第400回読谷村議会定例会会議録



第400回読谷村議会定例会会議録



第3日目(6月16日)本会議 午前10時02分 開議



出席議員は次のとおりである。

      1番 知 花 徳 栄 君         2番 比 嘉 郁 也 君

      3番 仲宗根 盛 良 君         4番 伊 波   篤 君

      5番 當 山 勝 吉 君         6番 大 城 行 治 君

      7番 當 間 良 史 君         8番 上 地 利枝子 君

      9番 山 城 正 輝 君        10番 城 間   勇 君

     11番 嘉手苅 林 春 君        12番 津波古 菊 江 君

     13番 山 内 政 徳 君        14番 長 浜 宗 則 君

     15番 照 屋 清 秀 君        16番 上 地   栄 君

     17番 伊 佐 眞 武 君        18番 國 吉 雅 和 君

     19番 新 垣 修 幸 君





欠席議員は次のとおりである。





地方自治法第121条の規定により、説明のため本会議に出席した者は次のとおりである。

 村    長   石 嶺 傳 實 君      副  村  長   池 原 栄 順 君

 教  育  長   比 嘉 源 勇 君      総務企画部長   儀 間 敏 光 君

 建設経済部長   比 嘉 隆 雄 君      生活福祉部長   仲宗根 盛 和 君

 教 育 次 長    與 儀   優 君      会計管理者    知 花   毅 君

 会 計 課 長    饒平名 俊 江 君      総 務 課 長    與那覇   準 君

 企画財政課長   與那覇   操 君      税 務 課 長    小橋川 清 弘 君

 農業推進課長   福 地 政 勝 君      跡地利用推進   大 城 友 誼 君

                         課    長

 土木建設課長   新 城 直 喜 君      都市計画課長   古 堅   守 君

 商工観光課長   長 浜 真佐夫 君      健康環境課長   真栄田 敏 光 君

 福 祉 課 長    知 花 俊 治 君      健康保険課長   大 湾   勇 君

 住民年金課長   仲村渠 英 二 君      こども未来課長  山 内 勝 美 君

 診療所事務長   高 山 朝 慎 君      健康増進センター 山 内   猛 君

                         事   務   長

 教育総務課長   喜 瀬   栄 君      学校教育課長   上 地 栄 春 君

 生涯学習課長   玉 城 秀 友 君      文化振興課長   仲宗根   求 君

 給食調理場所長  伊 波   靖 君      水 道 課 長    比 嘉 憲 友 君





職務のため本会議に出席した事務局職員は次のとおりである。

 事 務 局 長    松 田   修 君      事務局次長    山 内 明 秀 君

 議 会 主 任    當 山 克 伯 君





本日の会議に付した事件は次のとおりである。

 日程 1.一般質問







○議長(新垣修幸君)

 これより本日の会議を開きます。

 本日の議事日程は一般質問となっております。通告順に質問を許します。質問時間は30分以内となっております。質問者も答弁者も簡潔明瞭にお願いします。



△4番・伊波 篤議員の一般質問を許します。



◆4番(伊波篤君)

 村民の皆さん、そして傍聴席の皆さん、おはようございます。議席4番・伊波 篤です。通告に従って、第400回6月定例議会において一般質問を行いますが、その前に一言、3月11日、未曾有の大震災と言われた東日本の震災、日を追うごとにその実態が明らかになるにつれて新聞報道、あるいはテレビから流れてくるものを見ると非常に心が痛く、そして目を覆いたくなるような惨事も見られるわけですけれども、そこの中で現在確認したところで、報道によりますと1万5,000名の方々が尊い命を失った。そして今もなお8,000名近くの方々が行方を知らず、9万名近くの方々が不自由な避難所生活を送られているというふうなことで、この復興の兆しがまだまだ見えない中で、地震と津波の後にまた原発の問題が持ち上がってきたと。いつ終息をするのか、過去の世界的な被害によるとチェルノブイリにおきましても、何十年たっても、何十キロ以内は今も立ち入り禁止であるというふうなことを報道を見ますと、これはもういつ、このことが終息をし、正常な生活が送れるのかなというふうなことを思って非常に心が痛む思いです。3月の議会でもお話をしましたけれども、地域づくり、あるいは災害地の復旧、復興のキーワードとして、自助、共助、公助というキーワードが挙げられるようです。被災地の皆さんは日々自分で努力をすることを惜しまず、立ち上がろうと、そして一歩前に進もうというふうな気持ちでやっているようであります。そしてみずからも被災されながら、できることはということでボランティアに参加をし、共助の心を持ちながらお互い助け合いを持っている。最後のよりどころである公助の部分というのは、本当にそれを先導する役目の政治がどういうふうになっているのか、被災地の皆さんが非常に悲しい思いをしている。そして私たち国民一人一人も今の政治、永田町で行われているのは、向こうの常識は一般の常識にあらずというふうなことを言われるように、本当にふがいない政治のあり方自体、かいま見るところによって、私たち読谷村議会に私も身を置く立場として、まさしく村民の生命、財産、そして福祉の向上も含めてやらないといけないなというふうなことを改めて思いました。政権与党の民主党は党の政策に、国民生活が第一というふうに掲げながら、それと相反するようなことはやはりあってはならないというふうなことを思っております。そのことを踏まえながら通告に従って、一般質問を行いたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。

 まず最初に、1.平和村づくりの推進についてでありますけれども、?平成23年度施政方針より、平和村づくりの推進について、沖縄戦の終結から66年、実相を後世へ正しく伝えていくことが大切であるとされている。今年度の具体的な取り組みについてお聞かせをいただきたいと思います。?その具体的な取り組みとして、「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」の歌碑の建立ができないか。その2点についてお伺いをいたします。



◎企画財政課長(與那覇操君)

 御質問の1についてお答えいたします。これまでの本村の平和行政の取り組みは、沖縄戦の実相や教訓、戦争の悲惨さを正しく伝えるとともに、平和の尊さを学び、平和であることの意義の普及が図られるような事業を展開してまいりました。その一つとして毎年開催しております「平和創造展」は、今年で24回目となります。戦争体験と悲惨な沖縄戦の実相が、時間の経過とともに風化していくことが危惧されている今日、改めて歴史の過ちを繰り返さないためにも日常生活から平和を考えてもらう趣旨で開催をしております。その他に、「児童生徒の平和に関する図画・作文コンクール」、「各公民館や村内小中学校における平和創造展移動展」等の取り組みを行ってまいります。これらの取り組みの中から、沖縄戦がもたらした悲劇や、その後の沖縄県民、とりわけ読谷村民が日常的に対峙せざるを得なかった基地問題の実相を伝えてまいりたいと考えております。

 次に、?についてお答えいたします。「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」については、改めて申し上げるまでもありませんが、楚辺出身の(故)比嘉恒敏さんの作詞・作曲で、娘さんたちで結成された「でいご娘」が歌い、1970年代に大ヒットし、今なお県民に愛されております。琉球民謡を語る上でもこの歌の意義は大きく、まさに終戦後の人々の想いを深く刻んだ名曲であると言ってもいいと思います。

 さて、本村におきましてはこれまで地域や遺族会など、関係者が中心となり戦没者の追悼や戦争の実相を後世に正しく伝えるという思いで慰霊碑等が建立され、主体的な管理がなされてきた経緯があります。最近では、平和を願う歌とされる“さとうきびの歌”の歌碑建立にあたり村観光協会を中心に、来年4月1日の除幕を目指し資金造成コンサートや募金活動等々、精力的な取り組みがなされておりますことは御承知のとおりであります。

 御質問の歌碑建立につきましては、地元楚辺区でも取り組みがあると伺っております。建立に当たりましては、それこそ平和を尊び、後世へ語り継ぎたいとの想いが込められたものだと思いますし、また建立そのものが目的ではなく、建立後に平和を誓う場としていかに利活用することが大きな目的ではないかと思っております。その意味では、実現に至るまでの過程や、完成後の維持管理を含めた活用のあり方そのものが重要になってくるものと考えます。そのためにも、地域における現在の取り組みをさらに発展させ、賛同者の輪を広げ、有志の協力のもとで建立することで、その意義はさらに増すことになるだろうと考えております。



◆4番(伊波篤君)

 順を追って、再質問をさせていただきます。まず1番目の平和行政の取り組みでありますけれども、戦後66年、この時代の流れによって戦争というものが風化していっている。その実態を食いとめながらきちっとしたことを後世に伝えないといけない。今、課長の答弁もありましたように、もう少し具体的な取り組みを議論させていただきたいと思いますけれども、平和創造展24回目になると思います。私はその中でのいろんな写真展であったり、移動をしながら子どもたちを中心に、そして村民の多くの方々に実相を伝えてきた。そのことは非常に高く評価をいたします。しかしながら年々、月日がたつにつれて皆さんの取り組む姿勢自体も、私は変化があってもいいのではないのかなというふうに思います。もう一度お伺いしますけれども、今回の平和創造展、具体的に少し内容をお聞かせいただきたいと思います。



◎企画財政課長(與那覇操君)

 先ほども申し上げましたが、悲惨な沖縄戦の実相を伝えていくということで、昭和63年にスタートしました平和創造展でございますが、24回目を迎えます。今年のテーマと言いますか、内容でございますけれども、テーマとしまして「復興、先人の精神に学び、今を生きる」というふうなテーマで予定をしております。具体的に言いますと、読谷の戦後復興、終戦後、帰村が許されるわけですけれども、その中で読谷建設隊の存在が大きな役割を果たしてまいりました。戦後の廃墟から先人たちがどういうふうに復興し、どういうふうに日常を取り戻してきたのかの歴史を紹介していく内容にしたいと考えております。今回、復興というキーワードを使いましたのは、現在の社会情景をとらえてテーマを設定しました。今、我が国は特に東日本においては大変厳しい状況が続いております。3月11日の出来事はまさに66年前の悲惨な戦争によって、一木一草をとどめなかったあの姿に重ね合わせた先輩方もたくさんいたのではないかと思います。肉親を失った悲しみ、先の見えない絶望感の中で不屈の魂で這い上がってきた沖縄の先人たちのたくましさを再確認するとともに、そのような思いで東北の人たちにもまた頑張ってほしいという思いも込めまして、そして一日も早く元の生活に戻ることを願いながらこの展示会にしたいというふうな結びを考えております。



◆4番(伊波篤君)

 取り組みに対して、今課長が答弁ありましたように、まさしく時代をとらえたような平和創造展になっていくんだろうなというふうに思います。まさしく66年前、あのがれきの中から先人たちが立ち上がって、艱難辛苦の時代の中においても心を強くし、そして一つにして来たことが今の私たち郷土沖縄の実態があるというふうに思いますので、どうかまたそのことも強力に推し進めながら、後世に正しく伝えるような施政をしてほしいなというふうに希望を申し上げます。

 ?に移りたいと思います。今、課長から答弁がありましたけれども、比嘉恒敏さんですね、恒敏さんの作詞・作曲によって、戦さ世の気持ちをあらわした歌だというふうなことで、娘さんたちのでいご娘の皆さんたちが歌ってヒットをされた。私の実家は恒敏さんの家と隣同士でありまして、小学校へ上がる前までに、まさしくでいこ娘のお姉さんたちが三味線を弾き、歌を歌い、そして太鼓で練習をしている姿を見聞きしておりました。その恒敏さんの家は今で言う雑貨店、昔のマチヤグヮーをしておりましたので、家族から買い物に行かされたり、あるいは自分でお菓子を買いに行ったりというふうなことで、恒敏さんと、そして奥さんには非常に小さい頃にお世話になった経緯があるものですから、その艦砲ぬ喰ぇーぬくさーに込める思い出といのはたくさんあります。もう少しで来る6月23日、慰霊祭というのは沖縄県下でたくさんの方々が御霊を慰めるために慰霊祭が行われるわけでありますけれども、私の地元の楚辺においても慰霊の塔におきまして遺族会、もう非常に高齢化が進んでおりますけれども、遺族会を中心にしながら慰霊祭をとり行っております。四、五年前ぐらいから、そこの中で説法もありながら、そこで御霊を慰めると同時に、その当時の区長が三味線で艦砲ぬ喰ぇーぬくさーを弾きながら、みんなで歌う場面がこの二、三年続いております。私たち新たにまた艦砲ぬ喰ぇーぬくさーのことも思い出しながら、この提案をさせていただいているわけでありますけれども、少しその内容等々も含めて、私の思いも伝えたいというふうに思いますけれども、この艦砲ぬ喰ぇーぬくさー自体は、まさしく表現からあらわされるように、艦砲ぬ喰ぇーぬくさーといったら直訳をすると艦砲の食べ残しというふうな直訳をされるらしいんですけれども、これでは私たちのこの歌に込められた思いというのは伝わらないわけです。まさしくウチナーグチの艦砲ぬ喰ぇーぬくさーだから、昔66年前の実相をつなぐというふうな思いがこの歌には込められていると、私は感じております。この提案をさせて後、新聞報道がありました。父の無念、歌い継ぐということで、でいご娘の島袋さん、長女の艶子姉さんでありますが、島袋さんは北谷町で自治会の区長をやっていらっしゃる。そこの中で平和学習をする中において、艦砲ぬ喰ぇーぬくさーをもう一度自分で噛み砕いて勉強をしたときに、やはり父親の思いというのはもっともっと重たいんだなと。最初のころは私はメインボーカルではないので、公の席で歌ってくださいと言われても、いやいやということで遠慮をしていたということで書かれておりますけれども、歌をちゃんとかみ砕いてやると、やはりこれは伝えていかないといけないなと、私は1人でも歌いますよということで、艶子さんの記事が載っておりました。私はちょうど小学校低学年のころ、悲惨な事故に遭われて、恒敏さんと奥さん、亡くなられたわけですけれども、そこの実態自体はある一定の範囲内で認識をしていたつもりですけれども、この新聞報道を受けて非常にショックを受けました。というのは最後のくだりに、これは講演をして、その帰りに交通事故に遭って、その交通事故、相手が米軍だったと。それも酒を飲んでいたと。そこで尊い命が失われたわけです。そこの中で加害米兵の妻が四十九日の法要に来たときに、応対をした島袋艶子さん、長女姉さんですけれども、艶子さんに指輪を見せ、「あげるから許すと言って。そうすれば夫は刑務所に行かなくて済む」と言い放ったというふうなことが書かれているわけです。その部分を読んだときに私は、そこのものまでは知らなかったんですけれども、まさしく今も66年前も、そして今の実態をあらわすような私たち基地があるゆえの被害、そこを如実にあらわしていることではないのかなと。これもやはり引き継いでいかないといけないなというふうなことを強く思いました。歌詞の中にも子孫末代遺言さな。ということで書かれております。少し長くなりましたけれども、こういう想いがこの歌には、歌詞には込められているわけであります。

 そして過ぎた3月のときに課長の今、答弁もありましたけれども、知花徳栄議員の質問において、さとうきびの歌の歌碑の建立が読谷村で受け入れが決まったと。これは摩文仁でいろんな提案がされたにもかかわらず、なかなか建立をする場所であったり、予算面であったりというふうなもので、向こうに設置をするに至らなかった。そこの中で読谷村が受け入れを表明したと。私たち過去の歴史の読谷村の実相もあわせて、先進的な取り組みだなというふうなことで評価をいたしましたけれども、その答弁の中で、4月1日の除幕に向けて今、さとうきびの歌碑の建立が進められている。関連をするものですから、議長、質問を許してほしんですけれども、このさとうきびの歌碑の建立の場所はもう4月ですから、恐らく私は決まっているのではないかなというふうに思いますけれども、そこが決まっているんでしたらお聞かせをいただきたいと思います。



◎企画財政課長(與那覇操君)

御質問のさとうきびの歌碑については、後ほど商工課長のほうから御説明いたしますけれども、先ほど私、「つねとし」さんというふうに読み上げて大変失礼申し上げました。「こうびん」さんということで、この場をお借りしましてお詫び申し上げたいと思います。先ほど伊波議員もおっしゃっておりましたこの新聞、私も読ませていただきました。私も実相がこの新聞を読んで初めてわかりました。新聞の中にも二度アメリカに殺されたというふうなくだりが出てきまして、胸を熱くした思いがあります。その意味ではやはりこの歌に込められた想いというのが重々心にしみてくるようなことを感じました。歌詞も去ることながら、この新聞記事でなおさらこの歌に対する想いを感じた次第であります。お名前を間違えてしまいまして大変失礼いたしました。



◎商工観光課長(長浜真佐夫君)

 さとうきび畑の歌の歌碑の状況について、先ほど議員のほうからもこれまでの経過も含めてありましたけれども、おっしゃるとおり震災等もありまして、募金活動が一時期自粛をするということもございまして、少しそういう活動が自粛状態にあったのかなということもあります。それも踏まえてなんですけれども、予定としては当初の予定どおり、来年の4月1日に建立をしていくという予定をしております。それに向けて募金活動をまた緩んでいたのを通常に戻して、活発に募金活動をしていこうということで、委員会のほうでは確認をしております。それに伴って、建立用地の件なんですけれども、建立用地についても実質は実行委員会のほうで案を練ってもらって、いろいろ用地についても確保についての動きがあったわけですけれども、その中で村からの提案もしてありましたけれども、案としてなんですけれども、高志保の読谷村西部土地改良事業が事業として行われまして、その中から生まれてきた用地ではあるんですけれども、その一部の活用が可能かどうかも含めて、実行委員会のほうでも提案をして、協議をしてもらっているところであります。まだ決定には至ってないですけれども、候補地としては非常に適した場所だろうということで、そういう委員会の協議も入れております。



◆4番(伊波篤君)

 先ほどの企画財政課長の答弁の中に、まさしく艦砲ぬ喰ぇーぬくさーの意義について、建立そのものが目的ではなく、建立後に平和を誓う場として、いかに利活用をすることが大きな目的ではないかと思っておりますというふうな答弁をいただきました。まさしくそのとおりでなんですよね。その建立そのものはもちろん大切でありますけれども、いかにこのものを伝えていくかというふうなことであります。今どうして私がさとうきびの歌の碑の建立の場所についてお伺いをしたかと言いますと、これはまだ最終決定ではないというふうな答弁でありますけれども、議論に議論を重ねて、適した場所にということになるんでしょうけれども、ざわわざわわというふうな音源を聞く中で、もう日本全国の方々が沖縄戦を想像できるようなフレーズになっているわけです。非常に大切だと思います。それと私たち実際に唯一の地上戦が行われた沖縄、そして特異の読谷村においての歌碑の建立というのは意義があると思うんです。さとうきび畑のざわわの歌と、そして沖縄のウチナーグチであらわされている艦砲ぬ喰ぇーぬくさーが2つ一緒にここにあることによって、また平和行政を進める中、あるいはこの66年もたって、ますます戦争の風化が叫ばれている中、この実相を伝え、後世に正しく伝える手法として、私はこの形はどういうふうになるかわかりませんけれども、この碑が2つあることによって、また平和学習をする意味でも、私たち読谷村にとっての過去からの平和行政、そして未来に向かっての歩む道というのが非常に強固なものになるのではないのかなというふうに思っての提案であります。そういうふうなことの意見に対してどうお考えになるか、お聞かせをいただきたいと思います。



◎企画財政課長(與那覇操君)

 大変いい御提案だというふうに感じます。ただ、先ほど商工課長からございましたように、場所の特定がまだ二転、三転している状況にございます。今の御提案の話は恐らく実行委員会の中でも議論されたことはないのではないかというふうに考えます。観光協会を中心に動きをつくっておりますが、募金活動は全国的な動きで今なされております。いわゆるざわわの歌碑建立という位置づけで募金も動いておりますので、そこら辺どういうふうに新たにそういった艦砲ぬ喰ぇーぬくさーの歌碑を隣接させてという議論がどういう形でできるのかというのは、今後の問題だと思います。場所の特定もしながら、その件につきましてはまた実行委員会の中でも議論ができればいいのかなというふうに考えております。



◆4番(伊波篤君)

 再度になりますけれども、そういう想いがあっての質問でございますので、どうぞその辺も理解をしていただきたいなというふうに思います。もちろん艦砲の喰ぇーぬくさーの歌碑の建立自体は、楚辺区においても大体2年ぐらい前からそういう話が持ち上がって、その当時の区長であったり、あるいは遺族会の会長であったり、それこそ恒敏さんの家族の方々に対して提案を申し上げたときに非常に喜んで、やはり時期を得たこのものに対して理解を示されておりました。その具体的な形にするまで、まだ実行委員会というふうなものが立ち上げてないというのはまだあれなんですけれども、そこの建立の場所であったり、費用であったりというのが非常にネックになるというか、それを第一義的にきちっと決めた中で進めていかないといけないなというふうに、楚辺区でも何も行政の皆さんにおんぶにだっこで、全部これをやってくださいということではないんです。タイミングが合い、場所が合えばまた楚辺の地域のところも候補地にも設定することもいいのではないのかなというふうに思いますけれども、一つだけ確認をさせていただきたいと思いますが、姿勢であります。さとうびきの歌の歌碑建立をするときに、長浜課長はその当時の沖縄戦を語り継ぎ、そして平和について考える機会をつくるためには、実行委員会を支援していくというふうなことで、いろんなところで支援をして、今実行委員会の中に課長もその一員として入られているというふうなお話を聞いておりますけれども、楚辺区あるいは有志の方々で艦砲ぬ喰ぇーぬくさー歌碑建立のための実行委員会が立ち上がった際には、行政として支援をしていただく考えがあるか、その1点だけをお聞かせいただきたいと思います。



◎村長(石嶺傳實君)

 艦砲ぬ喰ぇーぬくさー、非常にすばらしい歌で、ウチナーンチュがあんな悲惨な状況の中で、さらっと民謡の曲に乗せて、あのような切々と訴えるというあれは、その歌詞自体も再度みんなで改めて学習する。非常に教材としてもすばらしい歌だと思っております。そういった意味でも、楚辺区がいろんなことでやっているということですけれども、これは当然読谷村としても、こういった地元のすばらしい民謡、平和学習の教材があるということですね、行政も一緒になってやっていきたいと思います。例えばこれ楚辺区でやるか、実行委員会で行政を含めてやるか、艦砲ぬ喰ぇーぬくさー大会ということで、これ読谷だけの話でもないと思うんです。その歌によって、ウチナー中のみんなが癒されたとか、そうだったよなという確認をしながら、連帯の意識を持ったという非常にすばらしい歌だと思っていますので、いろんな意味で広がりを持った運動をやっていけたらと思っています。



◆4番(伊波篤君)

 村長からも前向きな答弁をいただきました。まさしくそういうふうな形で取り組んでいただきたいなというふうに思います。私たちの読谷だからこの意義がある。さとうきび畑の歌碑が建立がされる。そして艦砲ぬ喰ぇーぬくさー、これは世界中どこをとってもないところだと思いますので、そこを発信源としながら、また平和の尊さを訴えるというふうなすべもしていただきたいなというふうに思います。せっかくでありますので、紹介をもう少しさせてください。きょうの沖縄タイムスにもありましたけれども、村内在住の長浜ヨシさんの投稿に、慰霊の日を目前に平和を祈念するということで、たびたび長浜さんは投稿をされて、いろんな老人会の活動であったり、生涯学習のあり方であったりというふうなものを私もその都度都度目にしているわけですけれども、きょうの新聞の中に5月1日に本欄に投稿された本の話がありましたけれども、それを見た人たちから、その本を貸してねと言われたよと。東京から送ってくれた友人に感謝をすると。そこの中に戦争を知らない孫たちは、私の投稿を読んでも、むかしむかしのおとぎ話のように思っていると思います。まとめに、生き残った私たちは子や孫に悲惨な戦争体験を語り継ぎ、風化させてはならないというふうに語っておりますので、その点もやはり加味する必要もあるのではないかな。琉球新報のきょうの新聞の中には、6月23日、県の平和祈念資料館において、そこで沖縄戦没者の追悼式が行われているわけですけれども、そこで朗読をされる詩が入選作品が決まった。仲西中学校の嘉味田さんという方のものらしいですけれども、幸せの一枚ということで全文が載っておりました。そこの全文ではありませんけれども、コメントを残して、嘉味田さんは沖縄に今でも残る戦争の傷跡は体や建物の傷だけではなく、心に残った傷もあると。戦後66年たった現在でもその傷に心を痛める人々がたくさんいる。これから先どんなに月日が過ぎようとも、その傷を風化させずに受け継ぐ。過ちを二度と繰り返さないようにしたいとコメントを寄せた。中学校2年生の嘉味田さんのコメントです。ぜひともこういう実相があるわけですから、建立に向けてもいろんな方法があるかと思いますので、前向きに取り組んでいってほしいなというふうな思いで希望をいたします。

 それでは2番目の質問に進めさせていただきたいと思います。2.トリイ通信施設についてでありますけれども、?キャンプ瑞慶覧の司令部のトリイ通信施設への移転計画について。ア、現在までの作業内容の経過と今後のスケジュールを把握しているか、お聞かせをください。イ、施設の規模と場所についての詳細がわかるか。ウ、3月議会において當山議員、城間議員の質問に対し同様な事案が出た場合は、事前に村に連絡をするとともに、基地機能の強化にならないように関係機関へ申し入れを行っているとあるが、その答えと規模の縮小と補償費は出ないか確認をしているというふうに答えをもらっておりますが、その後の答えはどうですか。?4月22日報道のあったトリイビーチ内での米軍による放置石について。ア、読谷村、沖縄防衛局、県中部農林土木事務所の見解と米側の認識はどういうふうに把握をしていらっしゃるか。イ、現在までの経過と今後の取り組みは。(上記の4者)の答弁も含めてお願いをいたします。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 質問2の?ア、イ、ウについてお答えをいたします。キャンプ瑞慶覧内の米陸軍第58通信大隊司令部とコンピューター管理・修理施設のトリイ通信施設内の移転計画につきましては、平成22年11月8日に楚辺区長へ、平成23年4月1日までに黙認耕作地を明け渡すよう要請通知があったところでございますが、その後の経過といたしましては、4月3日から20日まで磁気探査が行われております。また埋蔵文化財の範囲確認試掘調査が4月18日から行われておりまして、6月中旬まで続く予定です。

 今後のスケジュールといたしましては、民間業者が試掘した調査現場へ文化財担当職員が出向き、埋蔵文化財か否かを確認し、その後、本調査をして施設の配置をするのか、文化財を外して施設の配置をするのか、調整に入るという予定でございます。その後のスケジュールについては、文化財の調整後に明らかになると思われます。施設の規模と場所の詳細につきましては、まず場所は2カ所ございまして、1カ所は読谷村字楚辺西原のタシーモー南方遺跡、2カ所目は同じく東原のウガンビラー南方遺跡でございます。

 施設の規模といたしましては、現在の施設の移転でありバクナー地区の既存施設が2階建ての1,425平方メートルでございまして、計画としては1,524平方メートルと伺っておりますが詳細につきましては、文化財調査の結果を判断してみないとまだよくわからないということでございます。関係機関への申し入れの回答につきましては、平成23年6月1日に沖縄防衛局、同6月8日にトリイ通信基地へ再度文書でもって申し入れを行いましたが、規模の縮小や協議の場の設置については努力をしていくということでございますが、補償につきましては現在のところ、制度的に補償できないという回答でございました。

 次に?のア、イについてお答えいたします。トリイ通信施設内の海岸における石積工作物の設置につきましては、県及び村の認識といたしましては、日米地位協定に基づく提供水域内ではありますが、本来提供水域でなかったならば県が管理する海岸保全区域に指定されており、海岸法に基づく許可が必要な区域で、海岸保全上、大変重要な地域であるとともに、周辺水域には漁業権が設定され大型定置網や刺網業、海藻養殖業が営まれており、漁業活動への影響も懸念されると認識をいたしております。国につきましては、国内法が適用されるということではないが、住民に黙って被害が危惧される状況を作り上げたことについては問題視をしているという認識に立って、撤去の可能性も否定はいたしていません。米軍につきましては、事前に住民への説明が十分ではなかったことに対しては謝罪をしておりますが、工作物としての認識はなく、影響が出た場合に撤去するという立場に立っております。現在までの経過と今後の取り組みにつきましては、平成23年4月21日に漁協からの通報を受け、県とともに現場を確認した後、米軍、防衛局へ事実確認をいたしております。その後、翌22日、米軍、防衛局、県、村、楚辺区、漁協で現地確認を行い、米軍側より説明を受けております。4月26日は、県より米軍と防衛局へ適切な対応をとるよう要請をいたしております。その後、村も5月9日の議会決議とともに、米軍と防衛局へ早期に撤去するよう要請を行っております。今後の取り組みといたしましては、台風等襲来による監視体制の強化を図ると同時に、関係機関による協議の場を強く求め、早期撤去に向けて粘り強く要請を重ねてまいりたいと思います。



◆4番(伊波篤君)

 楚辺区のトリイ通信施設内で農耕している方々は非常に心配をしながら、この工事の行方も見守っているわけであります。少しその内容を把握をしていらっしゃるか議論をさせていただきたいと思います。まず今の施設の移設のものに伴って、磁気探査が行われたと。そこの調査結果を皆さんは把握をしていらっしゃるか、お聞かせをいただきたい。もう1つは、これは文化振興課長になるかと思いますけれども、試掘が6月の中旬まで行われている。恐らくもうそろそろ終わっているのかなと思いますけれども、そこの中での試掘で顕著に何かあらわれたものがあるのか。たびたびトリイ施設の中の文化財の調査をする中では、ある一定の文化財的な価値のあるものが埋まっているだろうというふうな私は認識をしているわけです。今回の試掘によって何か新たなものが出てきたのか。あるいは本調査をするまでに何か出てきはしないのか。そして、もしよければ課長の私見でも構わないですけれども、トリイ施設内、過去の歴史からおいて、今私が申し上げましたように何か文化財的な価値のあるものが出てくる可能性があるのかどうかも含めてお答えをいただきたいと思います。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 磁気探査の結果につきまして、トリイの渉外部へどの程度進んでいるのかということで、結果の報告を求めているんですけれども、まだそれについては出せないということで、もらっておりません。早目にもらえるようにやっていきたいと思っていますけれども、すぐは出せないということの回答でした。



◎文化振興課長(仲宗根求君)

 跡地利用推進課長からも御説明ありましたように4月18日から、あと数日では終えようとしていますけれども、埋蔵文化財の試掘、発掘調査を行っております。区域は2カ所で、東西で言いますと、西側はタシーモー南方と呼んでいるところです。そこを100カ所ほど3メートル四方の試掘構を100カ所ほど掘りまして、7カ所で埋蔵文化財が確認されております。もう1つの区域は東側、向こうはウガンヒラー南方のほうですけれども、向こうは120カ所ほど掘っておりまして、30カ所で埋蔵文化財が確認されている状況でございます。そこの遺跡の内容、そして今後の見解でございますけれども、御承知のとおり、このトリイ通信施設内は1952年、53年まで楚辺の集落でございました。地元ではフルスビと言って、古里を懐かしく、愛着する呼び名で親しまれている場所でございまして、この試掘した場所もフルスビの中に入っているかと思います。楚辺の集落の歴史も古くは約400年ほど前までさかのぼるということですので、やはりその地域には楚辺の集落を知る上で大事な文化財が埋まっているのは容易に、試掘でも確認しております。ただ、試掘は大きな面積は掘らないものですから、具体的に今出ているのは柱穴ですね、800年ほど前の柱穴がこの試掘の中でちょこちょことかかるということで、想像からしますと800年ぐらい前の農業を始めたころの集落というイメージができます。穀倉地帯と言いますか、畑をやっていた集落なのかなと今イメージしております。そういうことで今後、この試掘結果を受けて、米軍のほうもなるべく埋蔵文化財を壊さないように設計していくための試掘調査、埋蔵文化財を避けた設計をしていきたいという試掘調査ですので、その辺の設計を見て、今後の本発掘調査が必要となるのかならないのか、これから調整していくことになろうかと思います。



◆4番(伊波篤君)

 今、文化振興課長から答弁ありましたように、ある一定の範囲内で貴重なものが埋まっている可能性もあるというふうなことで、村長これはぜひ私たちトリイの中のものでも、後でまた最終的な答弁をいただきたいんですけれども、村長自体も6月8日にトリイ通信施設に出向いて、要請文の中に基地機能の強化は中止をさせるというふうな文言がありますので、一つの材料として、しっかりとこの部分というのは抑えていてほしいなというふうに思います。もう一度、大城課長、聞きたいんですけれども、磁気探査が4月3日から20日まで行われたにもかかわらず、そこの結果がわからないというふうなことで、私はその姿勢というのは少し弱いのではないのかなと思うんです。というのは今実際に農耕者がいらっしゃるわけです。安心であるのであれば安心でしたよ、例えば危険なものは検知をされなかったですよというふうなことを知らせること自体も米軍の役目だと思うんです。そして私たちはこれを確認することも行政の役目だと思います。文書できちっとした回答をもらうというふうなことはいかがですか。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 確かに今言われたように、問い合わせは電話でやりました。渉外部のほうにですね。渉外部としては担当の設備営繕課のほうにもう一度連絡をして、許可が出れば出せますよと。手元に資料がないということですので、文書でもやっていければ、そういった方向も考えて早目に対応をとっていきたいと思っています。



◆4番(伊波篤君)

 ぜひとも私たちがたびたびこういう基地問題、あらゆる問題があったときに抗議行動、要請行動自体が決してセレモニーになってはいけないというふうに思っておりますので、ぜひ私たちの立場、そして村民の安心を獲得する中では行政としての役目というのがあると思いますので、その体制を確立できるように努力をしてほしいなというふうに思っております。

トリイビーチ内での放置石についてでありますけれども、去る8月28日、29日、これは当初、この放置石が積まれたときに議会、そして村当局、漁協、楚辺区、関係者が現地に出向いて、向こうの担当者と話をする機会がありました。これから沖縄は台風シーズンが来るに当たって、非常にこのものが簡単に崩れるのではないのと。そしたら漁業に与える影響というのは、環境に与える影響というのが非常に懸念をされるよというふうなことでありましたけれども、5月28日、29日、非常に突風を伴う台風がありました。その後の皆さんの現場を確認する体制がつくられていたかどうか。それを詳しくお聞かせいただきたいと思います。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 台風2号の後、日曜日もすぐ出ました。日曜日から月曜日にかけてやったんですけれども、日曜日は別の件でまたいろいろ基地の周りも調査しましたので、それも兼ねて、午後2時現場の確認をしましたが、動いた形跡はある。動いていればすぐ迅速に対応しようかというところだったんですが、石が動いたとなったものですから、もう少し様子を見ようということで、特に議会とか、あるいは村長とか、防衛局とか、そういった方々を集めて協議をするという段階ではございません。電話で防衛局と連絡をとって、そしてまた漁協からも通報等もありましたので、そういった情報を収集して、漁協としては石を積んでいましたよという報告もありましたので、そういったのは防衛局のほうに報告をしているという現状でございます。



◆4番(伊波篤君)

 要望でありますが、私も楚辺区民でいろんな問題といいますか、トリイの中で懸念材料があったときには、すぐに入れないんですよね。そういうふうなことで私たちも放置石については議会の中でも取り上げ、基地特の中でも取り上げられて、議員の皆さんも関心を持っていらっしゃる。要望でありますけれども、ぜひこれ確立できないかなと思っているんですけれども、台風があった後になかなかすぐ間髪入れずに現場を調査することによって、私たちはこの実態というのをきちっと確認をする作業というのが必要だと思うんです。立ち入りの件に関しては、なかなかタイムリーにできないというのが実態ではないのかなというふうに思いますが、今後台風が来たときに、これは基地特委員会の中でも私は申し上げましたけれども、すぐにこの現場を確認できるような許可をきちっとあらかじめとっておく方法ができないものか。その見解も含めてひとつお願いいたします。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 その点もですね、5月9日の要請の中でも議会も一緒にすぐ入れないかということで要請をしているところでございます。我々としても、5月29日の12時ごろには入れてくれということだったんですが、許可がなかなかおりなくて、ビーチから入っていったということもございます。ただ、この緊急時の車両の入る許可とか、そういったのはやはり日米合同委員会での合意事項等もありまして、地域米軍とのそういった取り決めがですね、すぐにできるかということは今、県のほうにも確認をしたんです。県もそれが現地米軍とすぐできるものなのか。要するに日米合同委員会、そして施設特別委員会というのがあって、その中に合意したものについては、緊急時の車両の出入りとか、災害時の通過とかあるんですが、そういったものの確認を今、読谷村と現地米軍が正式にできるかというのは、伺いを立てている段階です。これできるのであれば早目に対応をしてやっていきたいし、もしこれが難しいということになっても、粘り強くそういうことが対応できるようにやっていきたいなと思っています。



◆4番(伊波篤君)

 いろんなところで私たち小さい郷土に大きな基地があるにもかかわらず、この基地内に立ち入ることはなかなか難しいようです。報道にも米軍用地の返還に伴う特別措置法、いわゆる軍転法の中においても米国の基地内の立ち入りを要請する制度が形骸化をしているというふうな報道がなされました。国がきちっと世話をしながら、この立ち入りについても手伝いをするべきものが、全部市町村任せになっているというふうな報道で非常に難しいところもあると思いますが、そこもひとつ私たち、これは大きな問題に発展しかねないというふうな今の御時世でありますので、どうかタイムリーに現場を調査する、確認をする体制自体を確立していただきたいなというふうに思います。

 最後になりますけれども、これも6月2日にまたありました。トリイに8,000坪の施設の計画、3月議会のときに當山勝吉議員がそのことについて少し触れておりましたけれども、新聞報道をされました。8,000坪余りの計画があるよと、現在のキャンプ瑞慶覧の移転のものとはほかにですね。その事実は皆さんは承知をしていらっしゃるか、お聞かせをいただきたいと思います。



◎跡地利用推進課長(大城友誼君)

 8,000坪の施設の新聞報道が6月2日になされているんですけれども、その前に楚辺と大木の区長のほうに説明があったと。そこに36カ所、磁気探査をしてやっていきたいということで、調査も入れたという話も聞いています。きのうも楚辺の区長に伺いに行ったんですけれども、これは2014年以降になるということで詳細についてはよくわからないと。米軍予算でやっていくということを今伺っています。トリイにも再度確認をしたんですが、米軍予算でやるんですが、2014年以降ですよと。夏植えのサトウキビに迷惑をかけないようにやっていくんだということを楚辺の区長にも申し上げたということを言っていますし、防衛局のほうにも確認をいたしましたら、防衛局はまだ詳細については把握はしてないということでございました。村がつかんでいるのは今そのぐらいです。



◆4番(伊波篤君)

 そのこと自体もやはり疑問を持たざるを得ないわけです。もうちょっとやはり基地機能の強化に反対というふうなことを、あるいは農耕者の皆さんがこれだけ農耕している体制は、適正補償もやってくれということで村長も要請をしているわけですから、そこはですね、もうちょっときちっとした態度で臨むべきではないのかなというふうに思うわけです。この新聞報道にもありましたように今、村当局は把握をしていない。それでありながら課長の答弁にもあったように、楚辺、大木の区長には口頭で報告をしている。ちぐはぐだと思うんですよ、本当は。皆さんもこれをきちっと把握をする努力をしてほしいんですけれども、今まではトリイ施設の中で何かの訓練があるからゲート開放時間の制限がありますよ、あるいは今トリイの中でもトレーニング施設というのが整備をされております。そこのものは面積自体はそんなに大きくないといいますか、農耕者の方々、楚辺区の方々の理解を得ながら進められていると思いますけれども、これだけ大きな問題が今からどんどん出てこようとしている中で、行政区の区長たちで米軍から直接問い合わせがあって、それを農耕者の皆さんをまとめてくれというのは、非常に荷が重たくなるわけです。提案でありますけれども、今後トリイステーションが何かの新しい施設を作る、あるいは何か方向性を生み出すときには、窓口自体は区ではなくて、行政のほうにまずは一本化をして、そこから区におろす、あるいは関係者に情報をもたらすというふうなことを確立してほしいんですけれども、その意見に対してはいかがですか。



◎副村長(池原栄順君)

 私たちもその都度、その申し入れをやっております。今、楚辺から情報が伝わって役場に来ると。そして私たちも防衛局にもその申し入れをしています。わからないのではなくして、わかる努力をしましょうと。そういう形でトリイの渉外部にもその申し入れをしました。そういう努力はしますということであるんですけれども、やはりその辺は再度、関係者一堂に集まって、最終の確認はとらないといけないと。その努力はしていきたいと思っています。



◆4番(伊波篤君)

 米軍基地の今、政府の永田町でも話題になっている普天間飛行場の移転問題、これは新たな基地はどこにもつくらせないよというふうなこともありますので、ぜひとも読谷村の過去の歴史も踏まえながら、今後歩むべき姿を形にする中では、強固な姿勢で臨んでほしいなということを申し上げ、私の質問を終わります。



○議長(新垣修幸君)

 伊波 篤議員の質問は終わりました。

 休憩いたします。

     午前11時00分 休憩

     午前11時12分 再開



○議長(新垣修幸君)

 再開いたします。

 休憩前に引き続き一般質問を行います。

 議席3番・仲宗根盛良議員の一般質問を許します。



◆3番(仲宗根盛良君)

 3番・仲宗根盛良でございます。4回目の質問をさせていただきたいと思います。

 まず1.沖縄電力が地球温暖化対策の一環で始めた「残波しおさいの森」づくり事業も終了いたしました。残波岬は多くの樹種が植栽され、樹木も大きく成長しております。そこで次の3点について、お伺いをいたします。?この7年間の村民と一体となった取り組みの成果についての見解をお伺いいたします。?周辺は多くの村民を初めとしたウォーキングコースにもなっております。植栽後の肥培と除草の管理はどのようになっているか。?隣接する県の潮害防備保安林はほとんど枯れているような状況であります。県との連携はどうなっているのでしょうか。お願いいたします。



◎都市計画課長(古堅守君)

 御質問の1の?についてお答えいたします。「残波しおさいの森」づくりは、戦後荒廃した残波岬一帯の自然環境回復を図るとともに、自然との触れ合いの場としての森の創造及び地球温暖化対策を目的に掲げ、平成16年から植樹活動を沖縄電力が主体となって7年間実施してまいりました。これまで10回の植樹・育樹活動において、村内では各字、各種団体、学校、企業等の団体及び個人参加、沖電グループ、また村外からの森林ボランティアなど延べ約6,300人、御参加いただきました。植樹場所は自生植物には手を加えずそのまま生かし、約4.2ヘクタールの面積に在来種17種、約6万5,000本の苗木等を植樹し、緑豊かな自然景観の創造を目指しております。かつて、美しい松林が広がっていた残波岬の景観をとり戻すことはもとより、地球規模で取り組む温暖化防止対策に貢献したことは、沖縄電力が環境大臣表彰を受賞するなど高い評価をされております。7年間の取り組みは残波岬公園の自然環境回復を大きく促進させ、村民に活力と希望を与え、生活に安らぎと潤いの場を創出する、次世代へつなぐ大きな財産となりました。また植樹活動を通して村内外の多くの方々が読谷村への愛着と環境問題への関心を高めることができたものと考えます。

 御質問の?についてお答えいたします。植栽後の維持管理として3年間は除草等を行い、その後は樹木の生長に伴い、落葉による地力増加、来鳥による種子の侵入・定着・成長により、人の手を加えない、自立的で多様な森林形成がなされるという考え方で植樹されております。今後の施肥などは発育状況等を見ながら県などの専門家に意見を聞き、適切な時期に施したいと考えます。また、園路・歩道に関しては、通常の委託管理で園路の草刈清掃管理を行っております。公園利用者が安全安心に利用できるよう維持管理に努めてまいります。

 御質問?についてお答えいたします。御質問の潮害防備保安林は、沖縄県農林水産部南部林業事務所が海岸防災林整備事業といたしまして、平成2年度からリュウキュウマツを植栽、平成19年度にはモンパノキ・クサトベラ・アカテツ等の植栽が行われ、その後の管理として、下草刈り・施肥・補植を実施しております。現在の保安林は、潮風害及び台風等の被害を受け、生存している植栽木は、南部林業事務所との確認で、現時点の調査では約30%ということであります。今後、保安林機能が衰退した箇所は、保安林改良事業導入(平成24年度以降)を検討中としています。日常の維持管理においては、県が主体となって実施されることでありますが、本村の対応としては、現場の状況を踏まえ意見交換などを行い、今後も県と連携して整備してまいります。



◆3番(仲宗根盛良君)

 順次追って質問をいたします。?の件ですが、まず6,300人が出たと。それから6万5,000本も木が植えられて、残波岬公園の自然環境が大きく回復された。これは次世代への大きな財産の創造につながったということは私も同感でございまして、高く評価をしたいと思います。みんなでこの木が有効に活用されるように見守っていきたいと思います。

 ?の件でございますが、園路と歩道の周辺は草刈りなどがよく行われて管理がされていると思います。私もたまに山内政徳議員もここでウォーキングをして会話しながらやっておりますが、そういうことで非常にウォーキングする方々は有効活用されております。そこで答弁では3年間は除草などを行って、その後は人の手を加えないで行う計画のようである。実は私、この前来たら、ここの右手ですね、つまり平成19年11月に植栽をされた入口の付近でありますが、これフクギが植えられております。大体1メートルぐらいの大きさに成長しておりますが、どうもススキは2メートル以上がこういうふうな状況になっております。そこで冬場が過ぎますと、今からはちょっと問題がありますが、今は夏だから大体11月ごろから問題があります。今ごろですよ。ススキなどは私は除草すべきだと思っております。第6回の植樹祭のところでされたこういったところは、もうそういうふうな草刈りをする必要はありません。皆さんが指摘しているような状況にあります。そういうことがありますので、どうでしょうか、このフクギは非常に力強く、一たん活着すると、ああいうふうな非常に厳しい環境の中でも生育していきますが、あと一、二年ぐらいですよ。手を加えていただくと。この辺について答弁をいただきたいと思います。



◎都市計画課長(古堅守君)

 御指摘のところは灯台に近い部分の一番条件が厳しいところだと思いますけれども、なかなか樹木が生長しておりません。ススキなどの生長が早くて、負けているような状況があります。そこはこれまでも森林ボランティアであるとか、民間のボランティアの皆さんで草刈りをしたり、あるいは沖縄電力の草刈作業などでやってきております。県の育樹祭などでも施肥をしたこともありますが、なかなか成長が見えません。今後も草刈りを予算の範囲内でですけれども、できればやっていきたいと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 私が今指摘したところは、やっていただくと非常に入口付近でもありますので、フクギがすくすくと成長すると私は思っておりますけれども、お願いをしたいと思います。

 次に?なんですが、潮害防備保安林は答弁によると30%の活着であります。実に惨たんたる状況なんです。こんな状況なんです。もう見てはおれません。ですから私たちが今やっていた、7年間やっていた残波しおさいの森の下は非常にいいんですが、上のほうが県がやっているところなんですが、環境も厳しいこともあってかわかりませんが、余りにも松林が全部枯れてきていると。その辺は先ほど答弁あったように、県との連携を強化していくということでございますから、県の尻を叩いて、一体となるような公園の植樹化というんでしょうか、これぜひ強化をしていただきたいということを申し上げて、次の2点目に入りたいと思います。

 2.残波岬潮吹穴などの安全管理についてでございます。?潮吹穴(ガマ)も観光施設の一つとして有効に活用がなされております。その周囲が非常に危険な状態にあり、安全柵などが設けられないか。?隣の旅うくい毛のレリーフも一部欠損しております。修復の方策はないかお伺いをしたいと思います。



◎都市計画課長(古堅守君)

 御質問2の?についてお答えいたします。潮吹穴については、直径1メートル程度の穴で深さ3メートル程度となっていますが、周囲が植栽や石積みで囲われており、石積みから穴までの距離も1メートル程度あります。御指摘の場所は万が一を考え、進入される場所に危険看板を設置しております。他の方法として、御質問の安全柵、転落防止のフェンスを設置するなどについて、内部で協議等を行い安全対策を図っていきたいと思います。

 御質問2の?についてお答えいたします。旅うくい毛のレリーフについては、記念モニュメント「旅人」となっており、かつて関西地区読谷郷友会の結成十周年記念事業の一つとして同郷友会と「記念モニュメント・旅人を支援する会」が平成6年11月5日に設置したものです。碑はブロンズ彫像で「船送り」「花風」「甲子園の球児」の3面のレリーフで構成されています。レリーフの一部欠損については、レリーフそのものは無事ですが、説明版の周辺の石版が落下したことにより、説明版も外れて落ちています。一部修復につきましては、関係者等との調整のうえ、方策を検討していきたいと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 2点目の再質問を行います。早速ですね、この危険表示の看板が設置をされていました。それから安全対策を図るということの答弁も今ございました。非常に心強く思っています。デビューにしてはこれから大変心強く思っておりますので、村民サービスには一緒にまた頑張っていきたいと思います。先ほどの写真でおわかりのように、これが潮吹穴でございます。ここが大体30センチちょっとぐらいありますかね。そういう状況で村民、観光客はそこから通るものですから、何があるのかなということで興味津々になります。すぐ潮吹穴と言っているのに、わかりませんからそこに入りたがるわけです。入っていったら足を踏み外したら落っこちるということでありますので、その面では備えあれば憂いなしということもありますので、先ほど申し上げたように看板は設置されておりまして大変有効だと思います。問題は看板があっても、そこにまた入りたいという人間の逆の心理もありますので、その辺については景観を阻害しないような形での対応を求めたいと思っておりますが、いかがでしょうか。



◎都市計画課長(古堅守君)

 方策としましては、周囲に木柵などを設置するとか、あるいは穴そのものに鉄格子などを見えないようにかぶせるとか、あるいはネットを張るとかという方法が考えられますけれども、この穴のそばに拝所があって、ここに拝みに来る方もいらっしゃるようですので、完全に囲むのはできないのかなと思っています。方策については今後検討してまいりたいと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 ぜひですね、いい景勝地でありますので、安全は何よりもまた大切なことでありますから、管理の面からよろしくお願いをしたいと思います。

 次の?についてでございますが、残波の一角には残波大獅子というのも実は実行委員会が中心になってつくられて、あれも読谷村のシンボルでございます。何回か修復もしてきて、現在でも観光資源として残波に行ったら大獅子はシンボルですので、そういった形で有効活用がされております。そこでこの旅うくい毛なんですが、こうしてはがれているんですね。できるだけさっきの答弁のように、早目の措置を考えていただければ、潮吹穴とか、それから旅うくい毛とか、これ意味なんだろうということでよくわからない方もいらっしゃるかもしれませんが、村外の方は。ある意味では歴史的な印でありますので、その辺を答弁あったような形で関係者との調整を早目に努力を重ねていただきたいと、お願いをしたいと思います。次に移ります。

 3.役場庁舎西側通路の村花「ブーゲンビレア」の件についてでございます。14年前に植栽され、幹周りも相当大きく成長し、これから枝葉を剪定し、村花のブーゲンビレア観賞とグリーンのカーテンを期待していたところですが、すべて切除されています。?切除した理由の説明を求めます。?役場庁舎敷地内の植栽計画はどのようになっているか。お伺いをしたいと思います。



◎総務課長(與那覇準君)

 御質問の3.役場庁舎西側通路の村花「ブーゲンビレア」について。?切除した理由を御説明します。切除しました理由は、管理が行き届かず樹形が壊れ、庁舎の美観を損ねているということ。業者見積もりでは、年間の維持費に19万7,000円かかるということで、通常の維持管理費は、庁舎敷地植栽管理費全体からしますと1割程度かかり物件費が抑制されている現状では、コスト的に捻出は難しいので撤去をし、新たに別の植物を植えていく予定となっております。

 次に?役場敷地内の植栽計画についてお答えいたします。役場敷地内の植栽計画につきましては、当初整備時点での計画がなされて以降は、植栽計画はありません。



◆3番(仲宗根盛良君)

 何点か質問をさせていただきたいと思います。今回の答弁については納得できません。まず?の切った理由が今答弁あったように、管理が行き届かず、樹形が壊れ、庁舎の美観を損なっているというのが1点のようです。それから庁舎敷地の植栽管理費全体の1割、19万7,000円がかかるからみんな伐採したと。私も当時そこにいましたので、上に枝葉が窓際に伸びていたのを全部、私が切って落してあるのも結構あったんです。そこでお伺いをしたい。村花として、昭和61年にブーゲンビレアが制定をされ、今日に至っております。村花について村当局の基本的な考え方を説明していただきたい。



◎副村長(池原栄順君)

 私たちは緑化を推進するということも含めて、村花にブーゲンビレア、村木にイヌマキを指定してきました。それで幾分その推進も、推奨もしてきたと思います。あと村木につきましては、イヌマキ、チャーギにつきましては、いっぱいいろいろ課題があるということで見直しをしてきました。ただし、このブーゲンビレアにつきましては、一部推奨はして、それぞれ盆栽であるとか、各家庭の鉢に植えて観賞をするとか、いろいろ工夫はされているかと思います。ただし、今回の庁舎に植えて、そして除去をしなければならないというのはやはり管理ができなかった部分と、あと若干とげがあるという形で、とげに刺さったということもあって、結果としてこういう処置をとらざるを得なかったということであります。



◆3番(仲宗根盛良君)

 今、私がお伺いしていますのは、村花の基本的な考え方を説明いただきたいということです。もう一度。



◎副村長(池原栄順君)

 それぞれ村花という指定をしてありますので、村としても読谷の便覧にも載っています。そしてインターネットにも載せてあります。それぞれで観賞をし、つくって楽しんでいるという部分もあって、ただし、それが公共施設にあるものをカットした事につきましては、あえて推奨をしてなかったという部分はあろうかと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 本来、村花を設定しているわけですから、行政当局としては推奨をしていくというのは当然な形ではないでしょうかと。きょうはこれを議論する時間はありませんので。

 ?、結局切ってしまったわけですよね。どのような判断でブーゲンビレアを撤去して、別の植物に変えていくことが決定されたのか。また庁舎の美観を損ねるという理由を答弁しておりますが、この判断はだれがしたのか。村民から今さきとげが刺さってという話もありましたけれども、村民からこれは余りよろしくないので、どうにかしてくれないかというふうなものがあったのかどうか、ちょっと御説明いただきたいと思います。



◎総務課長(與那覇準君)

 この判断は私がしました。役場庁舎、そして庁舎敷地の管理責任者として、私の判断でやっております。これは実はですね、去年の9月、決算議会の前に私が議会資料作成ということで休みの日に出勤しましたところ、朝ウォーキングをやっている女性だったんですけれども、黒いサンバイザーをつけて、そこのトンネルのほうを通ってきましたら、垂れてきたつるに洋服をひっかけたんです。それを見ましてふと、私もこれまで気づかなかったんですけれども、気づかされまして、これはまずいなということで、そのほうをカットさせたんですけれども、年間の維持管理計画を見てみましたら、年に1回の剪定の費用しか確保されてないということで、全体的にこれを見てみますと、樹形が壊れている。いわゆるグリーンのアーケードという形をつくり直すのに業者と相談しましたら、19万円余りかかりますよということ、仕立て直しですね。こういうことを言われたものですから、これは難しいな、厳しいなということで、そういうことで撤去はしていったんですけれども、この村花のお話も役場内部ではやりました。私の部署ではですね。村花を村民に紹介できるような形ではそこになくなるよということがありましたので、それも業者のほうと相談をしまして、どういう形で今後展開できるかということで話はしたんですけれども、まず前庭のほうで行燈仕立てでいくか、例えば守礼之門的な形のものでアーケードをつくるか。そこで村花として紹介をするような形、そのほうが維持管理のほうも業者としてはやりやすい、コストは安くでできますよ。いい形でのこういう花の紹介ができるんではないでしょうかというふうな提案もあったものですから、そういう形のものを今後検討しようということで、こちらのほうとしては現状のアーケードは撤去をしまして、火炎かずらか、にんにくかずら、もしくはドラゴンフルーツ、それでグリーンのアーケードを展開していこうということで考えたわけでございます。村花の展開についてはいずれにしても村民の目につきやすいところ、わかりやすいところで、そういう紹介をしていったほうがよいのではないか。もう1つ、イッペー、花木もあるんですね。花木も今私たちはきちっとした形での紹介、展開をしきれてない部分があります。ブーゲンビレアも全体で当初は58本余りありました。平成17年にも27本撤去してあります。これも基本的に聞いてみましたら同じ理由でした。この後ろ側の村道側のフェンス沿いに這わされていて、これがつるが徒長して、歩行者の邪魔になっていたと。いわゆる管理が行き届かなかったということでございます。管理が行き届かない、これは行政の責任でございます。それについては責任を感じておりますし、今後の対策も考えないといけないと思いますけれども、現状のままではいけないと思いまして、これを撤去して、さらに新しい展開としてのことを考えております。そのほうが安全だということで、そして新たな展開をとらせていただきたいと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 今の答弁を聞いていると、私は最低ね、これ村花なんですよ、村花。14年前にかかわってきた人たちが丹精を込めて、読谷村の村花として庁舎の中に、確かに後ろにもありましたよ。管理を立派にするのは皆さんの責務でしょう。それを一事例として村民の被服に何とかかんとか当たったと。どうなんでしょうか、例えば村花でも何でもなければ、美観も損なわれているのであれば、私は伐採しても問題はないと思います。ところがちゃんとアーケードもあって、上に這わせてあるわけですから、それを幹を残して、上を伐採すればアーケードの下から通るすべての人が危害を損害を与えられるような事案は発生しないと思うんです。後ろの通路との違いはあるかもしれませんが。そして、もう一度お聞きしたいのは、私はこういった村花である以上、せめて下から切っていくのであれば、私は最低庁議ぐらいはいろいろ問題あるけれども、皆さんは真剣に討議をして、先ほどのしおさいの森ではありませんが、木を植えるということは時間かかるわけです。そういう意味で私としては、ただ一課長がそういう判断をしたという答弁をされておりますが、村長、こんな形でかかる諸先輩の皆さんが計画に基づいて植えたきたものに対して、あっさり切られた。あれ管理のやり方があるんですよ。その辺で本来的には庁議でもどうあるべきかと、お金もかかるけれども、どうあるべきかということを私は真剣に議論してからやっていたのであれば、こういうふうな質問の展開は私するべきでもなかったと思いますが、多くの人たちがどうして下から切られたのということの指摘があるものですから、今お聞きをしているわけです。村長の見解をお願いします。



◎村長(石嶺傳實君)

 手続については、御指摘のとおりかもしれません。結論というんですか、それについて今、仲宗根議員から御指摘がありますけれども、庁舎内でまるまるにしたということについて、大変な意義があったということは感じておりませんでした。それとブーゲンビレアは非常に暴れるというのが定番でございます。皆さんおのおのも自分のお家の屋敷囲いとかに植えて、撤去したという経験もある方も多々いるかと思いますけれども、そういった意味ではそのブーゲンビレアの普及は今後、適地と言うんですか、適地を含めて、またいろんなできる範囲の維持管理もできるような見通しも立ててやっていきたいと思います。



◆3番(仲宗根盛良君)

 これは適切に管理をすれば、さすが村花に指定しただけあって、実は私、14年前に與儀優さんから新庁舎の移転のときにもらって、今まだ大きい鉢に14年間あるわけです。ですから管理の仕方であります。いずれにしても切られてしまって議論しても始まりませんので、非常に残念であります。幸い生命力が強いのかな、五、六本ぐらい根っこからまた新芽が出ていて、これでも叩かれても私生きるんだという形で、何本か根元から新芽が出ているんです。私は非常にうれしくなっておりますが、ところが切られる前の大きい幹にいくまでには、また10年以上もかからないといけないということには、私が80歳ぐらいになるわけです。辛いなと、それぐらい木というのは簡単に切ってはいけないと思っておりまして、実は5月26日に退職者会の皆さんが役場南側をみんな下を剪定していたではないですか。お金が不十分であれば、ある意味ではそういった協力体制だって、私は手づくりの中でもできるのではないのかなと思っておりますので、もう切られてしまってからどうしようもない。何本か生えておりますが、時間かかりますので、その辺では問題提起をしておきたいと思います。村花でなければそんなに強い口調では申し上げませんよ。

 それから?です。たまたま台風が来て、アカギを含めていろいろ大きく切られておりますが、植栽計画がないということでございますけれども、こんな大きい庁舎の中で植栽計画がないというのはおかしいと思います。ある議員は、提起として桜を植えなさいとかいうこともあります。そういう意味ではたしか14年前に役場庁舎にかかわってきた副村長、基本的にはアーケードをつくって、そこにブーゲンビレアを植えたかということについては基本的な計画があったはずなんです。その件について思い起こして答弁をいただけませんか。