議事ロックス -地方議会議事録検索-


長崎県 大村市

平成28年 12月 定例会(第6回) 12月08日−03号




平成28年 12月 定例会(第6回) − 12月08日−03号









平成28年 12月 定例会(第6回)



◯出席議員は次のとおりである。

   1番  田中博文君        14番  三浦正司君

   2番  神近 寛君        15番  村崎浩史君

   3番  野島進吾君        16番  水上 享君

   4番  井上潤一君        17番  村上信行君

   5番  北村貴寿君        18番  中瀬昭隆君

   6番  岩永愼太郎君       19番  山口弘宣君

   7番  田中秀和君        20番  古閑森秀幸君

   8番  小林史政君        21番  山北正久君

   9番  宮田真美君        22番  永尾高宣君

   11番  城 幸太郎君       24番  廣瀬政和君

   12番  大崎敏明君        25番  村上秀明君

   13番  朝長英美君

◯欠席議員は次のとおりである。

   23番  伊川京子君

◯地方自治法第121条により出席した者は次のとおりである。

 市長        園田裕史君     商工観光部長    山下健一郎君

 副市長       吉野 哲君     都市整備部長    黒崎広美君

 市長公室長     大槻 隆君     教育長       溝江宏俊君

 市長公室理事(危機管理監)兼危機管理課長 教育政策監     遠藤雅己君

           田中博文君

 総務部長      長濱海介君     教育次長      上野真澄君

 財政部長      平本一彦君     上下水道事業管理者 朝長 定君

 市民環境部長    高濱広司君     上下水道局次長   桑川 満君

 財政部理事     小峰 武君     競艇事業管理者   小川完二君

 福祉保健部長    楠本勝典君     競艇企業局次長   馬場宏幸君

 こども未来部長   川下隆治君     総務課長兼行革推進室長

                               渡邉真一郎君

 農林水産部長    熊 菊徳君     地方創生ジェネラルマネージャー

                               布施真人君

◯本会議の書記は次のとおりである。

 事務局長      朝長 悟君     書記        松山誠一君

 次長        高木義治君     書記        山下大輔君

 係長        中村宏昭君     書記        吉原周平君

 係長        福江都志君     書記        川添太介君

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

          第6回定例会議事日程 第3号

        平成28年12月8日(木曜)午前10時開議

第1 市政一般質問



△開議 午前10時



○議長(村上秀明君) 

 おはようございます。出席議員は定足数に達しております。

 議事日程第3号により、本日の会議を開きます。

 伊川京子議員から欠席の届けが出ております。

 日程第1、市政一般質問を行います。

 まず、18番、中瀬昭隆議員の質問を許可します。



◆18番(中瀬昭隆君) 登壇

 皆様おはようございます。18番議員の中瀬昭隆でございます。きょう12月8日は、新聞でも皆さんごらんになったと思いますが、真珠湾に奇襲した日ということになっています。

 奇襲と言われますけど、ある説によると、要するにアメリカは日中戦争の対戦側、中国に武器の供与をしていたということは、武器を与えているということは、もう敵国と同じだと。そうすると、わざわざ宣戦布告しなくても問題ないんだと。そういう解釈をする話も聞いたことがあります。

 新聞にふるさと納税のことが載っておりました。長崎市がマイナスということは知っておりましたが、今度は長崎県がマイナスと出ていました。やはりこれは住んでいるところに納めるのが本当で、返礼品であおるべきではないと、私も思います。

 前、総務大臣もされていた片山さんもそのような意見を新聞でこの前述べておられました。

 また、長崎県はスマホを通じて買う通販が全国4位、1位は沖縄、2位佐賀、3位宮崎、5位は石川県で4位までを九州が占めています。新しいもの好きのあらわれと分析してありました。

 また、長崎の妻は強しという生命保険会社の調査結果も出ていました。しっかりと財布を握り、けんかにも勝つそうで、長崎は全国1位で次が佐賀、西日本、特に九州はそういう傾向とあり、九州男児の面目丸潰れです。我々男性も負けないように頑張りましょう。

 10月の終わりに松浦市鷹島のモンゴル村に行ってまいりました。前から関心があり、10月いっぱいで休園と報道されていたので、最後のチャンスと思い、10月24日は高速多久経由、営業最後の31日は三川内インター、伊万里経由で行きました。

 そこは、モンゴルの大草原を思わせるような小高い草原があり、モンゴルの住居パオが幾つもありました。雑草は全く生えていなくて、その手入れは大変だろうと思いました。

 バイオパークが昨年より運営を引き受けており、いろんな動物がおりました。ミーアキャットやカピバラ、いつも犬と一緒にいるので、自分も犬だと勘違いしている黒豚、花ちゃんというインコや、ガラスケースにはさわることができる無毒の蛇もいました。

 温泉施設もあり、そこで偶然一緒になった方は、我が園田市長の知り合いの方で、仕事で来ている島原の方でした。すばらしい施設なのにお客さんはほんの数人だけ。モンゴル村への橋は佐賀県からしかなく、インターネットで見ると、モンゴル村、佐賀となっているぐらいで、佐賀県の施設と思われても不思議ではありません。

 途中に道の駅とか立ち寄れるような施設が何もなく、案内板もほとんどありませんでしたので、余計遠く感じるのかもしれません。隣の佐賀県唐津市との連帯連携が大きなポイントだと思いました。

 鷹島湾では、鎌倉時代の元寇の船が発見され、引き揚げられ、資料館に展示されたりと注目を浴びております。県も力を入れると新聞に出たばかりで、このようなときに休園とはとても残念に思います。我が大村市の観光を考えるときにも、参考になるヒントがありそうに思いました。

 松浦市にモンゴル村を訪ねた感想文を送っておりましたら、昨日市長さんからお礼の手紙をいただきました。

 11月3日には、一昨年に続いて、外海の枯松神社の隠れキリシタンの祭りに出かけました。神社のすぐ下に大きな石があり、その下でオラショを唱えていたそうです。そのような史跡は、残念ながら世界遺産登録内容に含まれていません。それは、大村の仏の谷も同じ、郡崩れと言われる潜伏キリシタンの弾圧で、放虎原刑場で処刑されて埋められた胴塚、首塚という史跡もあるのに、きちんとした歴史的証拠や記録がないからと県は言います。

 しかし、禁教時代にそんな記録を残すわけはありません。臼島ももしかすれば純忠の墓の可能性もありますし、枯松神社の祭りが終わってから、関係者の方とそのことを話しました。

 ことし5月には韓国からも大村のキリシタン史跡を見るために3,000人近くの方が来日されたことを思うと、記録はなくても、史跡などから検証し、禁教時代のことが解明されれば大きな観光資源となります。

 では質問に移らせていただきます。1、地籍調査について。

 先日の市民と議会のつどいで、山林の地籍調査を急がなければ境界は永遠にわからなくなるとの御意見がありました。

 田畑や牧草地などは、その境が視覚的な見分けがつきますが、山林は自然林にしても人工林にしても、同じような木が植わっており、なかなか境界の判別がしにくい。しかも今は、林業が成り立たないこともあり、次の後継者に当たる子供や孫が、親や祖父と山へ入り、境界を教えてもらう機会はまずありません。

 将来、境界でもめることがないようにするためにも、田畑より山林の地籍調査を急いでいただきたい。予算のこともあり、難しいとは思いますが、後回しにすれば、将来に問題を残すことになります。

 今、2つの班で調査をされていると聞いておりますが、これを倍にふやして、調査できないのかをお尋ねいたします。



◎財政部長(平本一彦君) 

 おはようございます。地籍調査事業についての御質問です。当市の地籍調査事業は、昭和63年に開始をいたしまして、ことしが29年目ということになります。

 事業を推進するに当たって、この山林の所有者、特に境界がわかっておられる方の高齢化と、このことに関しましては、当市だけに限らず、よその自治体においても非常に課題となっているというところでございます。

 そういったことの中で、我々のほうのこの地籍調査事業も、とにかくスピードアップを図るという形の中で、平成25年度に、残りの事業期間があと50年近くあったというようなことの中で、これを約半分程度に短縮をいたしまして、実施体制も2班体制から4班体制という形をとりまして、今事業を進めているところでございます。

 なお、議員のほうがおっしゃった山林の部分だけを、とにかく先にやってもらえないかということにつきましては、今これは町ごとに実施しているということでございますので、これはなかなか困難だということでございます。この辺のところは御理解をいただきたいと思っているところでございます。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 確かに難しいと思いますけど、今申し上げたように、このままいくと、高齢者の方たちが亡くなられたりして、本当に永遠に。ですから、確かに町ごとですから、田んぼも調べないといけない、山林も調べないといけないということがあると思いますけど、できればまず山林からだけでも、先にやるとかいうような、そういうこともぜひ検討してみていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 次に、教育行政の中で、まず歴史教育と後世に残るモニュメントや記念碑についてお尋ねをいたします。

 10月に日韓トンネルのシンポジウムで釜山へ行きました。その際に驚くような話を聞きました。それは、日露戦争で軍神と言われた東郷平八郎は、釜山で生まれたと。東郷平八郎の記念碑は一度壊されたが、修復してあるところに保管してあるとのことです。

 びっくりして帰ってから調べてみましたら、東郷平八郎は鹿児島生まれとなっていました。果たしてどちらが本当なんでしょうか。もしかしたら日本の軍神と言われる人が韓国生まれではまずかったのかもしれませんし、あるいは韓国では釜山生まれということになっているのかもしれません。

 戦後日本は復興を第一に考え、経済成長を一途に走ってきたように思います。おかしいと思うことにも目をつむり、戦勝国に逆らわないようにしてきたのだと思います。東京裁判も裁判どころか、戦勝国による一方的な罪の押しつけにほかなりません。そのことを指摘したのは、インドのパール判事だけ、でも日本人はだれもそのことを公で口にする人はいなかったと思います。

 憲法も戦後日本を統治するには、天皇の存在が欠かせないということを知ったマッカーサーが、本国からの横やりが入らないうちに、日本側がつくった憲法草案を白紙に戻し、法律にはごく素人で日本に留学経験があった、まだ二十四、五歳の通訳ミス・シロタなど、少人数で憲法の草案を1週間程度でつくりました。

 私の知り合いの方も、大村にもミス・シロタと親しかった方もいらっしゃいます。

 それまでは、天皇の顔写真さえまともに見る機会がなかった国民に対し、戦後の復興の視察と、国民を勇気づけるために天皇の全国行幸を行い、国民は感激し、大変な歓迎ぶりでした。

 しかし、それは戦後の国民の動揺を押さえ、日本をつつがなく統治するためのことだったということは、冷静に判断すればわかるはずですが、そこまでその当時は考えるゆとりはなかったのだと思います。

 昭和21年から横浜の港にララ物資というアメリカの粉ミルク、メリケン粉、あるいは衣類などが届きました。横浜の港には、アメリカから送られたことを記した記念碑があります。

 ところが、これはアメリカの政府が送ってくれたものではなく、サンフランシスコに住む日本人ジャーナリスト浅野七之助がつくった日本難民救済会が母体となり、キリスト友の会という組織の協力によって、日系人が中心になって集め、アメリカの救済統制委員会の認可を受け、実現したのです。

 このような事実をどれだけの皆さんが御存じでしょうか。私もある本の記事を読み、調べて初めて知りました。

 今、アメリカ大統領にトランプ氏が当選し、世界が大きく変わろうとしています。歴史や史実は客観的な検証が必要です。第二次世界大戦が植民地支配を終わらせましたが、オランダと日本は1600年代に臼杵にリーフデ号が漂着したことに始まり、明治維新まではオランダとだけの交易を続けていました。

 日本が植民地解放を意図して戦争したのではありませんでしたが、結果的にオランダの植民地だったインドネシアが植民地でなくなり、オランダにとっては大きな損失となってしまいました。

 そのことで、オランダ国民の感情は、戦争の当事者である日本に対して、大変悪くなりました。

 そのような背景の中、2000年に天皇皇后両陛下がオランダを訪問されました。その折、ある学校を訪問されたとき、皇后陛下に会えることを楽しみにしていた1人の小学生少女がありました。自分なりに一生懸命におしゃれをして、首を長くして待っていましたが、待ちくたびれて居眠りをしてしまい、皇后陛下が自分の前を通り過ぎてしまわれました。

 少しして目が覚めた少女は、びっくりし、大声で泣きながら、皇后陛下を追いかけ、抱きつきました。周りはびっくりしましたが、皇后様は、しっかりその子を抱き締められました。

 そのことが、翌日の新聞に報道されると、大きな反響が湧き起こり、それを機に日本へのオランダ国民のわだかまりが解けるきっかけとなり、日本への親しみを取り戻したとのことです。世界に類のない皇室外交が、日本を支えていることも間違いありません。

 このようなことからしても、歴史は客観的に冷静に検証されるべきで、一時の思いだけで後世へ残る記念碑やモニュメントはつくられるべきではありません。

 市内のある小学校に、戦争当時、救護所が置かれていたということで、モニュメントがつくられました。教育委員会が許可されたのでしょうが、どういう経緯で建立に至ったかをお話いただきたいと思います。公的場所であり、どのような検討をなされ、建設に至ったのでしょうか。

 また、携わった団体は、どのような趣旨とどのような活動をされてきたのか、それをどうやって確かめられたのか、あるいはその活動を証明するような資料はあるのか、あるいは存在したとしても、どの時点でそれを確認されたのかをお尋ねいたします。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 おはようございます。議員がお尋ねのモニュメントにつきましては、保護者の有志の方々が子供たちに恒久平和を願い、戦争の悲惨さを後世に語り継いでほしいとの願いを込めまして、学校と連携して取り組まれた活動であると受けとめております。

 そのモニュメントの設置に至るまでの経緯につきましては、昨年4月に保護者の有志で会が結成され、その後、歴史資料の収集や調査研究に基づく会報発行が行われております。

 また、昨年8月9日には、学校で地域の歴史について学ぶ平和集会が開催され、9月から12月にかけて県外の美術大学や県の窯業技術センターの支援を受けて、子供たちによるモニュメント制作が行われました。

 そして、昨年の12月24日には、議員がおっしゃるモニュメントの除幕式が実施されておるところでございます。

 そして、やはり原爆投下直後の当時の現状を物語る歴史の事実として、大村市が平成11年3月に発行した「放虎原は語る〜大村大空襲と第二十一海軍航空廠」の書物や学校に残された−−松原小学校でございますが−−創立100周年記念誌の中に記載された地域の歴史資料に基づいて設置が検討されたと伺っておるところでございます。

 そして、モニュメントの作成及び設置につきましては、学校の教育活動、平和教育の一環として行われ、子供たちが地域の歴史を学ぶ活動として制作にもかかわっております。

 これらの活動は、校長の判断で実施する教育活動の範囲のものでございます。

 以上でございます。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 今の話から言うと、要するに教育委員会が許可だとか何かを出したわけではなくて、学校長の判断でということになりますか。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 議員のおっしゃるとおり、例えばモニュメント設置をほかの民間とか学校に関係ない方がどうしても設置させてくれというならば、やはり教育財産ですので、そこに教育委員会が許可するということはございますが、あくまでも平和教育という学校教育の中で、校長の判断で、しかも邪魔にならない場所に設置するということですので、それはあくまでも学校教育の一環として校長が判断したということでございます。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 父兄の集まりとおっしゃいましたけど、これはPTAという組織とは関係ないんですか。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 PTAというよりも、父兄の方々が指導とかを行い、学校の教育活動の一環として、子供たちが大学の先生とか学生たちと一緒に、県の窯業試験場の協力も得て、平和教育の一環としてモニュメントを制作したということでございます。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 これは、父兄の方と言われるけど、どのくらいの父兄の方かわかりませんけど、せっかく各学校にはPTAという組織があるわけですから、何でそういう組織を通してそういうことをされなかったのか、それについて教育委員会としてどう思われますか。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 保護者の組織というよりも、たまたま保護者たちが手伝ったということで、モニュメントの設置につきましては、子供たちが自主的に平和活動の一環として、自分たちのアイデアでもって、ほかから協力を得て作成し、校長が許可して学校に設置したものでありますので、保護者云々というのは二次的要素でございまして、あくまでも子供たちが作成したというのが主でございます。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 その方たちは、いろんな会報とか何かを発行されているということだったんですけど、子供たち主体でやるのであれば、父兄の方たちの会報云々というのは関係ないような気もしますし、では、出されている会報がどういう会報なのか、どういう時点で確認をされたのか、教えてください。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 保護者の方々がつくった会報につきましては、3回か4回出されているということは認識しておりますが、どうしてつくったか、つくる経過、それとその中には当時原爆を直接じゃないけれども、松原にいて体験したというような体験談も載せられておられます。

 あくまでも戦争はやめようというような趣旨だったと思っております。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 ある高校に記念碑があるんですけど、その碑には愚かな戦争という言葉が書いてある、賢い戦争というのはどういう戦争なのかなと思ったんです。だから、今ずっと、るる申し上げてきたように、本当に冷静な目でこういうものを判断することと、将来残るものだから、学校長の判断だけで、教育委員会が全くタッチしていないというのは、それは非常にいかがなものかと思います。

 それと、さっきも申し上げたように、せっかくPTAという組織があるわけですから、そういう組織も一緒になって、子供たちと一緒に。それならPTAは何のための組織なんですか。意味がないと思います。

 それと、今申し上げたように、後世に残るものだからと、教育委員会が文言であるとか、そういうことについてもチェックをするべきだと私は思います。

 ちょうど、原爆で被災者の人たちがたくさん運ばれたと思うんですけど、そのとき、あの辺の証言で、要するに原爆のぴかっという光が見えたとかいう証言をされた方もあるみたいですけど、しかし、物理的に見て、それは私もそのときにいたわけじゃないですが、長崎の専門家というか、よく知っている方に聞いた方がいらっしゃるんですけれど、大体高度500メーターぐらいで爆発したんじゃないか。そうすると、その光というのは、ちょうど山に遮られて、大村市にはぴかっというのが通ったかどうかは、それはあり得ないことじゃないかなというようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。

 だから、それは証言された人が、御本人がちゃんとごらんになっているから、そういう証言をされたんだと思うんですけど、いろんな話を統合して、一つに偏り過ぎないような、冷静な目で見て、何でこんな世界でちっぽけな日本が、世界に対して、戦争しなくちゃいけないのか。きょうは12月8日、あれですけど、これはチャーチルからけしかけられた、アメリカも一緒になって、やれやれという形で、チャーチルが何て言っているか、きょうの新聞にも書いてありましたけど、要するにチャーチルにアメリカもうまくそそのかされたというか、そういう部分があると。

 そういういろんなことを冷静に考えるべきで、とにかく日本だけ悪かった、悪かったということでは、これはいつまでたっても、日本人は自信も誇りも持てませんし、そういう意味で、そういうものにつながるこういうモニュメントと記念碑というのは、十分気をつけて建立をしていただきたいと思うんですけど。

 だからもし今後、もう立ってしまったものはしょうがないと思うんです、もちろん撤去ということも考えられますけど、これからそういうことをするときには、教育委員会もかかわって、その中身を吟味したり、もしそういうPTAでない団体が、そういうことを申し出られた場合は、きちんとその辺の背景を精査していただくことが必要かと思います。

 では、次の項目に移らせていただきます。日本文化の再認識と文明文化を含む歴史を教える教科書の責任と選定責任。

 先日、島原の水の湧き出す庭園の旧家を見学いたしました。とてもすばらしい池と庭園でした。説明いただいた御婦人に、日本庭園がアメリカでは注目されているそうですと言いましたら、その方は政府関係の仕事で30年ほどフランスのパリに住んでいらしたそうで、フランスでもそうですと言われました。

 7月に長崎自然共生フォーラムという会で、長崎大学大学院の女性教授の話を聞きました。長崎の前はカナダの大学にいらしたそうです。

 話によると、日本庭園は、絵に書かれた静止画ではなく、とまった絵でもなく、常に変化している生きた素材と言われました。そして、日本庭園は人々の心を癒やす効果があり、それはヨーロッパの庭園にはないものとのことです。

 病人の気持ちを和らげる効果もあるので、病院にも日本庭園がつくられているという話を聞きました。改めて日本文化の奥の深さを感じました。日本庭園では、よく松の木を植えますが、中国では松はお墓に植える木だと、以前、中国の広州に行ったときに聞きました。

 果たしてそのような文化や日本の歴史について、教科書は教えているでしょうか。教育によって、その国の基礎はつくられます。教科書の役目とその責任は大きなものです。歴史とか文化や美術、芸術を教える教科書は、そのことをしっかり認識した上で選択されることが大事だと思います。

 しかし、教科書の選定にかかわるような教師が、教科書会社からの供応を受けるなどとは、公務員としての資格を問われ、恥ずかしいことです。恥を知る教育も必要な時代になったのかもしれません。

 日本の文化や伝統の美しさや史実を反映した歴史教育と、教育を子供たちに教えることの大事さを思いますが、これらのことについて、どう思われるでしょうか。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 さきの教科書閲覧に係る調査におきましては、本市教職員の中にも過去に発行者が主催した会議に出席し、謝金などを受けていた事実が判明したことは、公正に実施されなければならない教科書採択におきまして、大変不適切なものであったと受けとめておるところでございます。

 結果として採択への影響はなかったものの、かかる行為がその後の教科書採択の公平性や透明性に疑念を生じさせる事態に至ったことは、まことに遺憾なことでございまして、残念なことであります。

 今回の事案を契機として、国も教科書発行者への罰則規定を強化する方針を打ち出しました。私ども教育委員会といたしましても、再発防止に万全を期す所存でございますので、どうぞよろしくお願いします。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 この教科書の選定のことも上げていますけど、要するに日本の文化や伝統や日本の史実を反映した歴史教育を、子供たちに教えることが大事かと、この辺のことについてどう思うかという質問だったんです。



◎教育長(溝江宏俊君) 

 子供たちに教える歴史というものは、やはりそれぞれ見方があるかとは思いますが、やはり史実として絶対的な事実に触れる必要がございます。それは例えば外国から見た日本はどうか、日本国内から見た日本の歴史はどうかというのがありますが、それらを含めて教科書では外から見た日本、日本人から見た日本、そういったことで偏らず、全ての事実を適正に教えるのが教科書だと理解しております。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 ぜひそのように、日本文化にしても、芸術にしても、歴史にしても、そういうことを子供たちに教えるのは教科書がもとになるわけですから、その選定については十分にそういうことについて、よく思いを込めて、選定をしていただきたいと思います。



○議長(村上秀明君) 

 中瀬議員、もう少しペースを上げてもらえればと思います。あと質問細目が、残りが多いので。

 よろしくお願いします。



◆18番(中瀬昭隆君) 

 これからスピード違反でいきたいと思います。

 児童生徒の命についての学校現場、教育委員会、行政の責任とかかわりについて。

 横浜市の小学校で、福島からの転校生が原発の放射能に関して、嫌がらせやいじめを受けていた件で、担任の教師の対応あるいは学校、教育委員会の対応が納得できません。

 新聞には、新潟でも同じようなことがあり、同級生から名前に「菌」をつけて呼ばれることを40歳代の担任に相談したら、その担任からも「菌」をつけて言われるようになったとありました。全くあきれてものが言えません。

 しかし、こうもあちこちでこういう事例があるということは、大村市でもあり得ることかもしれません。大村市では、どうなんでしょうか。

 同じように東日本大震災の被害者の子供が出た大