議事ロックス -地方議会議事録検索-


福岡県 志免町

平成14年第1回 3月定例会 03月13日−04号




平成14年第1回 3月定例会 − 03月13日−04号







平成14年第1回 3月定例会



1 議 事 日 程(第4号)

   (平成14年第1回志免町議会定例会)

                               平成14年3月13日

                               午 前 10 時 開議

                               於   議   場

 日程第1 一般質問

2 出席議員は次のとおりである(17名)

  1番  池 邊 満 男            2番  牛 房 良 嗣

  3番  大 西   勇            4番  西 川 蓉 子

  5番  古 庄 信一郎            6番  山 地 政 美

  7番  吉 田 耕 二            8番  稲 永 正 昭

  10番  熊 本   廣            11番  高 野 晴 志

  12番  二 宮 美津代            13番  野 上 順 子

  14番  稲 永 康 人            15番  内 田 典 次

  16番  末 藤 省 三            17番  佐 藤   哮

  18番  堀   清 策

3 欠席議員は次のとおりである(1名)

  9番  大 林 弘 明

4 職務のため議場に出席した事務局職員の職氏名(2名)

  議会事務局長  浜 野 敏 行      書記      長   秀 樹

5 地方自治法第121条により説明のため出席した者の職氏名(22名)

  町長      南 里 辰 己      助役      吉 原 清 光

  収入役     田 島 恒 夫      教育長     中牟田 修 身

  総務課長    高 野 弘 彦      収入役室長   西 山 精 治

  税務課長    安河内   勇      建設課長    権 丈 和 孝

  地域振興課長  児 嶋 賢 始      環境課長    石 川 善 弘

  住民課長    堀 内 善 之      福祉課長    脇 田 義 政

  健康課長    高 木   健      下水道課長   世 利   章

  水道課長    入 江 信 雄      学校教育課長  緒 方   博

  社会教育課長  長 澤 利 信      子育て課長   上 田 博 昭

  企画財政課長  大 塚 健 治      総務課補佐   安 田 豊 重

  税務課参事   権 丈 良 平      教育委員長   林 田 精 一







            〜〜〜〜〜〜〜〜 〇 〜〜〜〜〜〜〜〜

              開議 午前10時00分



○議長(堀清策君) これより本日の会議を開きます。

            〜〜〜〜〜〜〜〜 〇 〜〜〜〜〜〜〜〜



△日程第1 一般質問



○議長(堀清策君) 日程第1、一般質問を行います。

 順番に発言を許します。

 6番山地議員。質問時間90分。11時30分までとします。

 山地議員。



◆6番(山地政美君) おはようございます。今回の質問につきまして、非常に町政と直接かかわりないような迂遠な質問でございますけれども、かねて町長が3本柱の一つとされておりますところの、福祉、環境、教育と、この3つのうちの一つの柱である教育問題について最近感ずるところがありましたので、あえて質問の項目に上げた次第でございます。

 唐突な質問のようでございますけれども、第1点、アメリカの映画にあります西部劇、これをどう見てきたか。恐らく私よりお若い町長ないし教育委員長は、この辺の問題についてご存じあるかなあという気持ちもありまして、あえて質問したわけですが、まず町長、その次に委員長のお話をお聞きしたいと思います。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) 山地議員の質問に答えさせていただきたいと思いますが、昨日からこの通告を見まして、一睡も眠れない夜を過ごしてまいりました。どう答えたらいいのであろうかというような思いでございまして、またどのような展開なのかということを考えましても、思いが堂々めぐりをいたしまして、きょうはどういうことになるのか心配をしながら、この場に立たさしていただいておりますけども、端的に申し上げますと、西部劇をどう見てきたかということでございますが、私は余り西部劇を見ておりません。また、見るような環境にもなかったような気がいたします。ただ、西部劇といたしましては、開拓者精神にあふれた痛快ウエスタンという、そういう娯楽映画としての見方であったかなというように思います。

 以上です。



○議長(堀清策君) 林田教育委員長。



◎教育委員長(林田精一君) 町長さんも今申し上げられましたように、私の志免中学校における立志式の励ましの言葉の段階でのことで、町長さんとしてはお聞きになっておらないので、本当は私の方からそのいきさつを説明してお答えしていただくのが、町長さんとしてもわかりやすかったんではないかと思いますけれども、山地議員の方から町長を先に指名されましたので、こういう形になりましたけれども、私の西部開拓のフロンティアスピリットというのは、西部劇に出てくることを主体とした言い方をしたわけではありません。そういう私たちが若いころに西部劇を見た中にも出てきたということを、歴史的なものとして触れただけでありまして、私が中学校の立志式で言わんとしたことは、開拓者精神というのは野茂英雄投手の大リーグ挑戦にあるということに話を置きかえて話しております。そこが、歴史的なものを話せば、あいさつのわずか5分や10分の中で話す中では歴史的なものを話す暇はありません。講演と違いますので、そのあたりはきょう歴史的に話せということでございましたら、私、資料を持ってきております。

 ただ、西部劇の話ということになりましたけれども、私自身はアメリカの歴史家のターナー教授の引用した中で、「安住の地を無残にも踏みにじられ奪われ続けた先住民族、インディアンの怒りと悲しみに満ちた抵抗と屈服の歴史物語があることを忘れてはならない」ということは、私の読んだものにもあります。そのところは生徒たちに必要であるかどうかということはわかりませんから、社会科の時間に時間があったら勉強してくださいというふうに話をそらして、野茂英雄投手の話に切りかえて私はごあいさつの中で開拓者精神というものを触れてきております。

 今、アメリカ映画の西部劇をどう見てきたかということを言われますと、若い時代にはそれなりの、今町長が答えられたように、開拓をしていく中で、インディアンとの争いがあったという娯楽映画として見た部分もあります。それは、若い時代のことです。

 以上です。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 賢明な委員長ですから、恐らくそういう御回答があるだろうというふうに予測はしておったわけでございますけれども、それではもう一点お尋ねしますが、今御説明になりましたアメリカのこの開拓者精神というものが発端になってきたところは、年代からいいますと、コロンブスの大陸発見がなされて、それが大体1492年、明応元年だったかと思いますが、そういう1400年代、1492年ですから約1500年、今から600年ぐらい前ですが、東部海岸から西海岸に進出していって、侵略していって、そうして安永5年、アメリカの独立宣言がなされて、1776年、アメリカ合衆国が設立されたということは御承知のことかと思います。

 この中において、少なくとも言語、言葉というのは、やはりそういう歴史的な背景を踏まえて、特に子どもたちには御説明がなされるべきではないかというふうに考えておるわけでございまして、野茂投手だとかあるいはイチロー、こういう人たちの生きざまということについては、それはそれなりに価値はあります。しかし、それはいわゆる次元が異なるところの世界であって、少なくともアメリカの文明の流れの中でこの言葉を出してこられるということは、ちょっと当日の立志、志を立てるという問題については、この大きな人種問題に対して欠落したアメリカの恥部といいますか、そういうものがあることを踏まえた上で教育をしないと、一つの間違った示唆を与えていくことになるのではないだろうかというふうに考えるわけでございます。

 問題は、そういう言葉というのは生きて走っていきます。むしろ、私は当日において発言していただきたかったのは、札幌大学においてクラーク博士がわずか6カ月の期間において教鞭をとり、そして子どもたちと苦楽をともにして別れたときに、あの雪の吹雪の中に馬にまたがって去ってゆくクラーク博士が、子どもたちに「ボーイズ・ビー・アンビシャス」、「少年よ大志を抱け」という言葉を発して、そして去っていった。まさに「鳥のまさに死なんとするやその声悲しくて、人のまさに死なんとするやその言よし」という言葉がございますけれども、そういう魂と魂のぶつかり合いの中で教育というものは、なされてしかるべきではないかと考えるわけです。

 このアメリカ大陸の発見によって、アメリカが世界に残したすぐれたいろんな文明というものは評価されてよいでしょうけれども、アメリカ自身がアメリカ人が西部劇を通して見られるような一つの侵略、あれはアメリカ・インディアンというのはアジア民族ですね、民族的に言えば。そして、力もいわゆる当時の状況からいえば、弓とやりとか、そういうもので狩猟民族であったような感じがしますけれども、その中にほろ馬車に乗った、要するにヨーロッパ人がその無人の野を行くがごとく侵略していったのがアメリカの姿であったわけですし、さらに言えば、その中で自分たちの力が足りない、労働力が足りないから、アメリカ人はアフリカから黒人を連れてきて、奴隷として自分たちの生活の手段として使ってきた。こういう状況があるということはアメリカは百も知って、今御指摘になられましたように、彼らが自分たちの恥部を知ってるわけです。知ってるから、それを忘れてはならないということを言っておるわけなんですが、そういう中において、やはり反省をしておるかといえば、そうじゃなくて彼らは戦後日本に押しつけたように、過去の歴史は悪かったんだと。今が一番いいんだというような、理論的、あるいは歴史観といいますか、哲学といいますか、そういうものを打ち立てて、そして社会科歴史というものを彼らは自分たちの唯一の歴史観として取り上げてきたわけです。

 先ほど申し上げましたように、アメリカは大体創立されて、国家が成立して約300年、日本はその10倍である約3,000年、この中においていいこともあれば悪いこともある。アメリカという国は、自分たちの歴史、これが一番いいんだと、したがって今が一番いいからということで、社会科歴史で、それで過去の悪いことはこうであったから改善していったという、それを教育的に構成していったのが、いわゆる戦後入ってきましたデューイの実存哲学であったわけです。彼らは進歩主義的、経験主義的なものによって問題を解決していこうとしている。それが今日50年たって日本の社会がどうなってきてるか。皆さん御承知のように政・官・財、非常に今のリーダーにおいてぼろが出てきているという状況になってるんじゃなかろうかと思うわけです。

 私は志免町の教育について、そういう社会的な反省を持ちながら、委員長が英断をもって新しい教育の方向づけをしていただけないだろうか、そういう願いを持ちながら、きょうは質問をしているわけでございます。

 それで、そういう気持ちを持ちながら、ちょっとベルサイユの条約について、人種差別撤廃を要求したのはどこの国であるかということを質問として掲げております。おわかりであるならばお答えいただきたいと思います。



○議長(堀清策君) 林田教育委員長。



◎教育委員長(林田精一君) その前に今議員がおっしゃいました、クラーク博士の「少年よ大志を抱け」、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」は、昨年使わしていただいております。それをことしも同じことを繰り返すということはどうかということで、ことしはそのフロンティアスピリットという言葉、今歴史的なことを言われるならば、確かに配慮が足らなかった面があったかもわかりませんけれども、私自身はさっきも申し上げましたように、一つの開拓者精神というものを子どもたちに持ってもらいたい。その趣旨で、その開拓者としては大リーグで野茂英雄が出てきた、このことをして最後に文化、芸術、科学、そういった方面におのおの、スポーツが好きな生徒ばかりではございませんので、そういった道にそういう精神を発揮してほしいということで締めくくったつもりでおります。

 そこのところをして、私は何もアメリカを美化するつもりも何もありません。ただ、一つのアメリカ大陸の歴史の中で、そういったことが行われたということは事実でございますし、その犠牲があるということも実際にあっております。だから、現在の西部劇は上映されておりませんし、あったにしても方向を変えた、「荒野の七人」とかというように、日本の「七人の侍」をモデルにしたような西部劇に変わってきています。そのあたりは人種的な問題が、人権的な問題も含めて行われておりますが、そこのところを御指摘になれば、確かに私が配慮が足らなかったということになろうかと思います。しかし、私自身は、今議員が申されますように、大航海時代のパイオニアと新大陸の発見ということから独立戦争、そして南北戦争というところにも、今南北戦争については理由は触れられませんでしたけれども、その南北戦争こそ、いわゆる人種撤廃の奴隷解放のリンカーンの戦いであったと思っております。そういったものが歴史を通じながら現在に来てるということは、確かに歴史の中には過ちもあり、犠牲もたくさんあってできていると思います。

 今、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のクラーク博士の北海道開拓の話にしても、これをひもといていけば、アイヌの問題にも触れていかざるを得ないのじゃないでしょうか。そうすると、やはり日本でもそういった問題は起こってるということを私は念頭に置いておりますけれども、昨年の立志式でクラーク博士の話をさしていただきました。その例として、「ドラえもん」でヒットした藤子不二雄氏ですか、の話を昨年は例題として出して、彼らは中学校のときに2人、絵が好きで、そして東京に出て成功したという話をさしていただいております。

 ことしは、それを、だからその趣旨をとらえていただくということは、5分や10分の話の中では、そういう話し方しかできないわけです。講演で話を1時間ほどするということであれば、そういう歴史の話からしていく必要はあろうかと思いますけれども、ですから大分トリニータの選手が来て講演をされましたけれども、1時間の中で自分の中学校時代から高校、そして現在に至るまでの話をしていくのはできますけれども、個人としてあいさつとしてする場合には、そういったところは含まれながらも、ある程度はしょって、それをフォローしていくのがホームルームで行われる担任の仕事であるというふうに私は考えております。そのあたりを先生方が聞いて、どう校長が職員に指導し、ホームルーム担任が生徒にどう指導していくかというのが教育のあり方であって、そのあたりを十分踏まえていただきたいというふうに思っております。

 本題に入りますけれども、ベルサイユ条約というのは1919年だったと思いますが、大正8年、軍縮会議の中で取り上げられた中で、日本が人種差別問題を触れて否決されたという程度しか、私は浅学非才でございますのでわかりませんが、詳しくお知りでしたらお教え願えれば結構かと思います。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 委員長は御自分なりに御配慮されながらあいさつをしたというお答えでございますが、問題は教育界をリードする指導者のトップであるわけでございまして、そういう面において私は、一言一言は重いというふうに考えております。

 今ここでお聞きしますと、そういうふうな御判断があったからということでございますけれども、これはとり方によったら、私が今心配してきたような問題点が起こるのではないか。そして、それが子どもたちに植えつけられるならば、いわゆる奪わずんばあかず、要するに自分たちの生存を守るために、どんなことでもやってもいけるんじゃないか、要するに弱肉強食の人生が植えつけられてはかなわないというふうに私は考えたわけでございます。その点について、言葉をもう少し今後御配慮いただき、教育全般に対する御指導をひとつ喚起していただきたいと思っております。

 本題は、ベルサイユ条約の人種撤廃を指摘したのは、御説明にあったとおり日本です。そのときに全権大使として参ったのが、西園寺公望とそれから牧野伸顕、そしてさらに随行員の一人であったのが、近衛公爵、近衛文麿であったわけです。日本のそういう動きに対して、ちょうど大正8年ですが、1919年、こういう発言をした。ヨーロッパの各国は、よもやアジア民族がこういうことを言うというのは考えておらなかった。驚いているわけです。そこで、逆宣伝として黄禍論が出てきたという歴史的な背景があるわけです。

 私どもは、そういう中でこの世界史的な流れを見ていく場合に、非常に我々自身は、我が国は誤っていない。要するに、我が日本民族は世界に対して堂々と主張をしてきた。そういう自負心、こういうものをむしろ生徒たちに教えていただきたい、これが私の願いです。

 次に、第3番目に上げておりますアメリカのフロンティアスピリットという問題については、先ほどから論議を交わしてきましたように、非常に誤った動きがある。これを反省して新しい開拓精神と言ったのが、あのケネディであるわけです。ニューフロンティア精神ということを言っています。だから、アメリカはかなりこのフロンティアスピリットに対する反省を持っているということを事実として確認していただきたいと思っております。

 次に、4番目に入りますが、少年にわかりやすい日本人の行動、規範を示すべきではないかということを申し上げておりますが、委員長、あなたは前回「ボーイズ・ビー・アンビシャス」、「少年よ大志を抱け」ということを言ったから、ことしは言わない。これは、言っていいんですよ。「先人これを言い、我またこれを言う」という。いいことはやっぱり相手は変わってるんですから。そんなに遠慮されることないんです。そうして、我々が聞いておっても、そうだそうだということでうなずくわけですよ。心配されんでいいんです。自信を持って言ってください。

 そういう意味で、あなたがどういうふうな御経歴の方であるか、私は非常に、農学校の校長までされたということで、私の母校の教師であるということで非常に尊敬をし、期待をしておった。私も農学校に3年間おりまして、いい先生からいろいろ習っております。そういう点で、私の少年時代の精神形成というのは、非常に農学校の時代において確立されております。そういう教育を、いわゆる農学校3年生は今の中学生3年です。立志式というのは、そういう意味において重要な問題だろうと考えております。

 御承知のように、教育の中には縦軸と横軸がある。いわゆる着物を織るように横糸と縦糸がある。生活していく手段、読み書き、算、そして職業訓練、総合的な判断をする。しかし、縦軸は人間としてどう生きていくか、人間として正しい行いは何かということを示していくのが大事なことではないかと思います。その大事なところがあの立志式ではないかというふうに私は考えてるんです。私が間違っておりましょうか。どうですか。



○議長(堀清策君) 林田教育委員長。



◎教育委員長(林田精一君) 間違っているとか正しいとかということは私の判断するところではございませんので、コメントを控えさしていただきますが、今言われましたように、毎年同じことを繰り返すということをやるのは、確か相手が変わるからいいということもございましょう。しかし、私の立場からすれば、やはり幾つかの材料を持って、それをその時代時代に合った子どもたちに話していくというふうに考えております。ですから、今この立志式に対して、御指摘のように、昨年話したから今年やめたという、随分これも正直なところ迷ったわけですけれども、今年は広い意味で野茂英雄投手のことが頭にありましたので、そしてイチロー選手の活躍がありましたので、身近に子どもたちが感じるであろうということで、こちらを選んだわけです。

 来年は、また「少年よ大志を抱け」と言うことになることになるかもわかりませんけれども、今御指摘のことであれば、フロンティアスピリットという言葉は今後使わないようにしていきたいと、「少年よ大志を抱け」でいきたいとは思いますけれども、私自身はそういったアメリカの歴史その他を勉強していく者は、そういった今議員が御指摘のようなことは、やはり勉強する段階でわかっていくだろうというふうに思っております。今、子どもたちにとって大事なことは、何をもって目標にして頑張っていくかということだということで、立志式にそういうふうに申し上げたわけです。そのあたりが配慮が足らないということであれば、今後反省し、言葉というものをもう少し考えていきたいというふうに考えております。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 非常に前向きの御回答でございましたけれども、私は委員長に対する個人攻撃をやってるわけじゃなくて、この問題は志免町の子弟に対する一つの大きなきっかけを与えるチャンスだというふうに考えておりますがために、立志式というものは重要視しているわけでございます。

 ところで、それじゃおまえ何を言うかと、何を話しするかということになってくると思いますが、私はここに2つの書物を持ってきました。「嵐の中の灯台」、それから1つは橋本左内の「啓発論」。私が少年にわかりやすい日本人の行動規範を示すべきではないかということを申し上げてるのは、この点にあるわけです。恐らく委員長は、そういう問題についてご存じの上でいろんな問題を考えいただいてるだろうというふうに思いますが、しかし子どもたちが我々の先祖がどういうふうにいろんなことにぶち当たって、自分の道を切り開いていったかというものをこの立志式の中で取り上げていただくべきではないだろうかというふうに考えて、一つの示唆としてこの橋本景岳の書物を持ってきております。

 その第1点は、彼が橋本景岳というのは、幕末に井伊直弼によってわずか26歳にして殺された人なんですが、この人が15歳のときに、自分の戒めとして方向づけをやっております。自分はこういうふうにこれから勉強し、頑張っていくんだということを言ってる。その第1は、子どもから大人になるんだから、第1は稚心を去れ、幼い心を去れということを言っております。それから第2番目は、気を奮う、勇気を出せと。目標に向かって勇気を出せということを言ってます。第3番目に、目標を立てろということを言ってます。それから第4番目に、学問をせよと、勉強せよということを言ってます。それから第5番目に、友達関係を選べと、こういうことを言っております。これ、立志式のそのままの教科書になります。今後教育に当たられる方ならば、こういう我々の先人が15歳にして書いたようなこういう文書もよくお勉強していただいて、これからの教育問題に取り上げていただきたい。あるいは、指導方針の中に考えていただきたい。

 もう一つは、「嵐の中の灯台」、これは私ども、子どものころに、少年のころに学校で教わった文章が今度一冊の本になっております。第1点は、これは、私は感心したのは、最近亡くなられました西島伊三雄先生、これ画家ですね、この人が挿絵をかいております。中をずっと読みますと、懐かしい文章があります。「嵐の中の灯台」、「小さなネジ」、「青の洞門」、「ハエとクモに助けられた話」、「父の看病」、「佐吉と自動織機」、「助船」、「緑の野」、「笛の名人」、「五人の庄屋」、「競馬」、「応挙と猪」、「ハンタカ」、「焼けなかった町」、「夕日に映えた柿の色」、「通潤橋」、「心に太陽を」、「稲むらの火」、こういうふうな我がふるさとに関連するいろんな問題が、「通潤橋」は熊本です。そして、「五人の庄屋」は福岡の物語です。「青の洞門」に至っては、有名な菊池寛の「恩讐の彼方に」という名作があります。これを題材にしております。

 だから、皆さん、我々はアメリカのああいうふうな言い方をかりる必要ないんです。日本には日本の立派なこういう教材があるんです。皆さん方、お孫さんをお持ち、あるいはお子さんがおられますけれども、この本は最近出ておりますから、買って子どもさんたちに感想を聞かしてください。この中において、心に打つものが、答えが返ってきます。

 その証拠には、実は私はびっくりしましたんですが、民主党の衆議院である山谷えり子さん、この方がこれを国会で取り上げてるんです。いわゆる今学校教育の中で欠落してるのは、大変な問題があるんだと。そして、普遍を教える情操教育をしなければならないんだということを言ってるんです。そして、「嵐の中の灯台」には、献身、自己犠牲の美しさ、あるいは上に立つ者のやせ我慢や忍耐などのお話がちりばめられています。やはり、国語教科書には人の生き方や感動を語れる教材の選び方があっていいと思うんです。ここまでも国会の中で、いわゆる革新的なっていわれているこの民主党の中でさえ、こういう発言をしている。もう少し、ひとつ日本の現実を踏まえ、ひとつ今後教育の見直しといいますか、そういうことをよく考えて、これからの学校教育に御指導していただきたいと思います。

 私は、このほかにもう一つあります。それは、皆さん御承知のとおりに、吉田松陰という方が玉木毅甫に15歳の加冠の儀、要するに立志式の日に、立志のときに教えた「士規七則」という文章があります。そうして、最後の方にこう書いてあります。7つの項目、人生の重要な問題が7つ項目が上げられておりますけれども、その中で3つに集約されて、「右七則は約して三端となす」。要するに縮めて三端となす。「立志もって万事の源となし、友を選びて仁義の行いを助く」と。「読書をもって聖賢の教えを考える」と。志をまず立てましょうや。そして、友を選びましょうや。そして、学問をしましょう、こう言っております。15歳の少年に対してこう言っております。

 我々の先人は、15歳にして大人になった。そして、一人前になって大人としての処遇を受け、大人としての行動をとってきた。これが日本人の姿であったと思います。ぜひこれから少年にわかりやすい日本人としての行動規範をお示しいただいて、ますます志免町の学校教育がすばらしい、いわゆる一目見て、この志免町の生徒はちょっと違うというところまで志を持った、生き生きとした子どもたちを育てていただきたい、これが私の願いでございます。大変重要な任務にお立ちになってる委員長の責任は非常に重いと思いますので、私どももそれなりに考えながら御支援していきたいと思っておりますので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 次に、議長いいですか。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 長期マスタープランについて申し上げてみたいと思います。

 私がこの問題を考えさせられましたのは、実は最近の新聞に出ておりました2月3日の新聞に、福岡市が地下鉄を延長するという問題が出されておりまして、これは志免町にとって非常なチャンスじゃなかろうかというふうに思いましたんで、この点に対する町長のお考えがあるならば、何かお聞かせいただきたいと思います。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) 最近、福岡空港の問題がいろいろ取りざたをされております。非常に過密な空港であるということから、新空港を建設し、そこへ移転をするというようなお話でございます。これは、都市圏の私ども市町村も非常に関心があることでございまして、つい最近もそのような新空港のシンポジウムにも参加をしてきたところでございます。

 そのようなことから、跡地の利用についての話も、あるいは構想といいましょうか、夢も語られております。そういう中から、今御指摘のように、14年2月3日の日の新聞に、「空港線に延伸構想」ということで、報道がなされております。しかし、これは空港の移転、あるいは廃止に伴います構想が一部の報道機関に報道されたわけでございますけれども、現段階ではルート等も決定をしておりません。また、そういうようなことで明快な回答はできませんけれども、現在福岡市を中心とした隣接の市町村におきまして、交通混雑の緩和対策、あるいは公共交通機関の整備等の問題について協議をしておるところでございます。このようなことから、延伸をするとすれば、どちらの方向に延伸をするのかというのが非常な関心でございますが、言いますならば我々の志免町の方に来てくれればいいんですが、なかなかそうはいかないのじゃないかなというように思います。

 この新聞記事をよく読んでみますと、現空港用地南端の博多区月隈地区まで約3キロ延伸し、2駅を新設する案が浮上してるということでございまして、これは案であり、またそういう構想ということでございまして、実現性等につきましては非常にまだ不透明であるというようにとらえております。しかし、そのようなことで、もし志免町に向けて来る、あるいは駅が新設されるというようなことになる可能性は、これは模索をしなければならないと思いますので、都市圏の会議等、あるいはそういう空港の跡の整備の話のときにはぜひ意欲を持った取り組みをさせていただきたいとは思いますけども、非常に可能性としては難しいのじゃないかなという気はいたします。ただ努力はしなければならないという思いでございます。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 非常に私ずっと議員になりまして、町政の中で実態をずっと勉強しながら考えさせられてきたんですが、4次のプランができ上がり、そしてその内容を見てみてもそうでしたけれども、かなり長期マスタープランといいますか、そういうものが欠落してるんじゃないかなという反省があるわけなんです。

 実は、ごみ問題に私、携わってまいりまして実感として考えさせられるのは、大牟田にごみ発電をすると言ってアドバルーンを上げたのが、大体今から8年ぐらい前ですよね。そして、それに向かってどういうふうな状況になっていくかなということで、私ども対応しながらやってきたんですが、それがやっぱり当時は10年計画であったのが、約8年で完成してきたと。

 今御指摘のように、まだ計画の段階であるし、模索の段階であるというふうにお考えのようでございますけれども、これは志免町にとって一つの大きな発展のきっかけになるのではないかというふうに私は考えておるわけです。むしろ、こういう問題は福岡市が具体的にどういう問題を考えて立案し、プロジェクトを組んでるんか。そういうことを早く情報を入手し、そして志免町も協力できる問題があるかないか。そして、それに対して志免町の独自の方向づけというものができるのかどうか。あわせて、志免町だけでできないならば、周辺町村と合わせて何かできやしないかというようなことも十分考えていく必要があるんじゃなかろうか。そういういいきっかけでございますんで、後、問題が手落ちにならないような一つの大きな、長期なプランを持って対応すべきではないかというふうに思うんですが、町長、どうでしょう。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) この地下鉄の延伸計画につきましては、以前にもそのような話がございました。そのときには、いいますならば、そこのボタ山のところに駅をつくってもらい、そしてまたそれを粕屋町の原町の方につないで循環をさせたらという構想、あるいはまた太宰府の方に回して、そういう循環をさせたらといういろんな構想があったわけでございますが、しかし、これいかんともしがたいのは、福岡市営の地下鉄でございまして、そういうようなところから、私どもがこうしなさいということはなかなか難しい。ですから、そういうのはやはりいろんな政治力であり、いろんな地域のそういう要請行動でありというようには思います。

 ですから、そういうことから、第4次の総合計画にはのってないんじゃなかろうかと思います。議員さんもその審議委員の一翼を担っていただいておりましたので、そういうところの御審議もされた結果、これはというようなことでのってないのじゃないかなというように思います。

 しかし、私どもは、今一番しなければならないといいましょうか、今できることは、せっかくできている空港地下鉄線がありますので、その駅にいかにアクセスをできるような体制をするかということではなかろうかと思います。地下鉄が幾ら志免町を通っても、地下を通ったんでは何も地下鉄じゃないわけでございまして、駅ができて初めて地下鉄だと思います。そういうようなことを考えますと、ある駅にいかにアクセスする、そういう体系を整備するか。つまり、今で言いますならば、空港駅がございますので、その空港駅にいかにつなげるような道路整備、あるいはバス等のそういう整備を図っていくということが当面はしなきゃならないことであり、そしてまた将来的にはどちらの方向を向けて延伸をするかしれませんが、その方向がもし我々の方に誘導できるものであれば誘導し、そして誘導しても駅ができなければ何もなりません。地下を通るだけでは何もなりませんので、駅をどのようなところにどう付設をさせるか。それは魅力がないとやっぱりのってこないわけでございますので、魅力あるようなそういうものをやはり我々が早く構成をしていかないと、駅ということにはつながらないのではないかなというふうに思います。将来的な、これは緊急を要する課題であり、また将来的な構想であるというふうに思います。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) お聞きしておりますと、きのうの近代化遺産の問題と同じような論理の展開でございますけれども、私はちょっと視点を変えて申し上げてるわけでございまして、これ、一例申し上げますと、九州国立博物館が誘致されて、そして来月10日に起工式があるということ、きのうの新聞にも出ておりました。そして、その予算は、総工費が250億円という膨大な国家予算が投入されるわけなんですが、これ私、在職中にちょっと関係したこともございますし、それから在職中の同僚からいろんな話を聞いたこともございます。この問題が持ち上がったのが、大体今から20年ぐらい前なんです。そして、必要があるということで、いろんなところに働きかけ、まず各市町村、それから県、しかもそれが県が納得してもらって、それから九州全域の文化担当、私、大分にも文化担当の知人がおりますが、彼からもいろんなパンフレットその他、送ってもらっておりまして、いろいろ経過を知っておるわけなんですが、それが約20年にして実現してるわけです。

 きのうもあっておりました「プロジェクトX」の中で、青函トンネルの問題もやっぱり数十年かかっております。そういうふうな、この地下鉄問題というのは、あるいはこういう長期プランというのはまさに長期であって、土地の浮揚をどう考えていくか、それに対する遠大な計画のもとで取り組んでいかなくちゃいかんわけですが、志免町単独でやれということを私は申し上げてるわけじゃないんです。やはり、その辺に、福岡市として提携できるものはないか、あるいは周辺の町村としてできることはないか、一緒にやれることはないか、そういう考え方がないかどうかということを聞いてるわけなんです。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) 先ほども駅の話をさせていただきましたが、それは地下を通るのか地上を通るのかでございますが、やはりいずれにいたしましても、これは採算性との関係もあるわけですから、その地下鉄を運営をするところが、やっぱり魅力のある路線、ルートを選んでくるのじゃないかというように思います。ですから、やはり我々がしなければならないのは、やはり魅力あるような待ち受けといいましょうか、そういうことにまずは努めなきゃならない。いいますならば、私は希望的には、もしできるなら博多の森競技場のところにでも1つ駅を出していただき、そしてまたボタ山のところにでも出していただいて、そしてまたそれが長者原か原町の方に行くというようなふうにでもなればというような、以前そういう夢というか、構想というものがございましたが、それが実現できれば、そら、それにこしたことはございません、というような夢を抱きながら、いいますならば粕屋郡で、あるいは粕屋南部地域でそういう誘致運動、行動、そしてまたいろんな要請はしていかなきゃならないというように思いますし、またほかのところも当然こちらの方にというようなことで、やっぱり綱引きがあるのじゃないかと思いますので、そういう魅力ある土地に早く成長しなければならない、そういう条件整備をしていかなきゃならないのじゃないかというように思います。

 それと、先ほど申し上げました、せっかくあるものをいかに生かすかということも大事なことではないかというように思います。ですから、緊急を要することと、それから先ほど議員も御指摘がございました、長期にわたるものと、2つの姿勢で将来のこの地域の発展につながるような、そういう取り組みを常に心がけていかなきゃならないというように考えております。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) いみじくも今町長が言われましたように、そういう一つの夢、これは政策というのはそういうもんだろうと思うんです。それじゃ、どうかということになろうと思いますけれども、そういう夢を実現する一つの方法を具体的に一歩踏み出すか、踏み出し切れないかというところに政治の要諦があろうと思っておるわけです。そういうことがニーズとして必要であると。それじゃ、どうするかという問題が起こってくる。

 それとあわせて、今、先刻指摘されましたように、ある一点に、空港に交通アクセスをするということにおいて、どういう弊害が出てきているのか。これは、前回に私、大的の交通量の問題を聞きました。平成10年の調査では1万6,798台、平成20年には2万2,340台という指摘があっております。このように志免町は下手をすると通過町になってしまう、周辺中。そして、自動車公害、その他いろんな排気ガス、こういう問題が集中的に起こってくる。どうしても交通アクセスとして、今言われましたように、できれば旅石のあそこにインターチェンジをつくって、そして直接福岡の空港に乗り入れていくような軌道なり高速手段というものが必要になってくるというような状況もあろうかと思うんです。

 それじゃ、どうすべきかという問題でしょうが、これは恐らく志免町単独ではできません、言われるように。これはどうしても周辺の協調とかそういう、あるいは国家財政の投入だとかという問題がかかわってきます。そこで、出てくるのが、きのう、おとついと出ておりました周辺の合併問題という問題が迫られてくると思います。やはり、周辺の協調ということが考えられてくると思うんですが、交通量一点をとってもそういう問題が起こってる。

 今言われておりましたように、志免町がいかに住みよい町につくられ、そして条件整備ができていくかという問題について、これがどういう方向でなされてきてるかということを、私もじっと考えておるんですが、最近、西日本新聞で出されました一冊の本がありますけれども、その中で、福岡県の中では、それぞれ特産品というものが掲げられております。ただ、志免町には特産品というものがないんですが、掲げられてないんです。私はあると思います。志免町にはあると思うんです。そういう意味で、地域の実態がどれくらい把握されているかどうか。非常に私は実態把握がなされてないんじゃないだろうかというふうに心配してるんですが。

 一例を申しますと、南里地区に何とかという鏡屋さんがございますね。立派な、あれは300年か200年続いた見事な鏡屋さんですが、今もずっとされております。戦時中には防弾ガラスをつくられて、そして飛行士に対する防弾眼鏡なんかもつくっておって、私どもも勤労奉仕に行った記憶がありますが、そういう方が3代、4代とされている。そういうものがあります。だから、農工産品の洗い出しをやってみて、ここで何が志免町の特質かという問題もやるべきじゃないか。この辺について町長、どう考えられますか。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) 地域浮揚策としての農工産品の洗い出しといいましょうか、志免町に何か特徴あるものはないかというお尋ねであろうかと思います。

 工業の方では、九州製鏡のことだと思いますが、そのお話をなされました。そうですね、この鏡、あるいはガラス、あるいはまたカーブガラスというんでしょうか、よく知りませんが、そういうガラスの、あるいは鏡の関係では古いのれんを誇ってある、いいますならば、老舗だというように思います。そういうすばらしい産業があるわけでございますが、ほかにもいろいろ隠れたところにあるんじゃないかなというように思います。

 ただ、非常に厳しいのは、今までのこと等考え合わせますと、水といいましょうか、そういう工業を発展させるには水が必要であると思いますけども、そういう水が非常に志免町は乏しい。つまり、そういう工場が立地するには、しにくい環境であったのではないかなというふうに思うんです。それからまた、非常に狭い町土、8.7平方キロしかございません。870ヘクタールしかない、そういう狭い町土であった。もし、これが丘陵地あるいは山等がございますと、そういうようなところにいろんな工場団地等が造成されたのではないかなと思いますが、そういうようなことがございませんので、工業的には非常に数少ないのではないかなというように思います。

 一方、農産品ということでございますが、そこら辺に思いをはせてみますと、水田が70ヘクタール、それから畑といいましょうか、野菜をつくるところが7ヘクタール、それから樹園地、果樹が3ヘクタールでございます。水田は、皆様方ご存じのとおりでございますが、減反をしなければなりませんで、そのうち42%の減反率でございました。33ヘクタールからが米をつくらないで遊ばせておるといいましょうか、米をつくってはいけない土地でございます。自分の食べる米もままならない中で、四十数%という減反を強いられておる。当然農業としては、いいますなら米の産業では生きていけないわけでございます。

 そのような状況でございますが、野菜が少しございます。そういう休耕地を利用して、あるいは畑を利用しての野菜がございます。これは青果市場に出荷してある方は約6世帯もしくは6戸くらいの農家数でございまして、非常に一部でございます。そういう農業の中で、後継者も育たないというような環境でございます。しかし、これを見直せということでありますならば、私は志免町の農業というのは都市近郊、つまり消費地に近いというのが特徴ではなかろうかなというように思います。特に、志免町はそういう消費者の方々がたくさん周囲におられるわけでございまして、そういう消費者の中で農業がなされる。それは、いいますならば、短所であり、長所であるというようにとらえたらいかがかというように思います。

 そういうようなことで、今ここに稲永正昭議員もおられますけれども、JA南部プラザで朝市が週に2回ほどあっております。その指導もしてもらっておりますけども、そのような家庭菜園的な野菜はたくさんつくられておるわけでございますが、そういうものを寄せ集めて、そして売買といいましょうか、朝市が成り立たされております。

 言いますならば、今の食料で一番求められることは、安心、安全、そして新鮮なものが食料に求められることであると思います。そういう生産者の顔の見える、そして消費者がたくさん周囲におられる。つまり、都市近郊であり消費地に近い、そういうようなこと等を考え合わせますと、これは短所を長所になすべきじゃないかと。そういうのが志免町の、もし農業に対する浮揚策ということで考えますならば、今後の生かされる道ではないかなというように思います。そういうことで、JAの南部プラザでは朝市が開催をされておりますが、そのようなことから、そういう生産直売所等の振興に対して、もう少し我々行政の方からも支援をするのか、あるいはそういうふうなものでつくられた安心、安全な、新鮮な食料、食材を学校給食等にでも提供していただけるのか、これも以前、池邊議員の方からもそういう御提案等もございました。

 あるいはまた、こういう余暇の時代、時間が余っておるといいましょうか、余暇の時代でございますので、そういうレジャー型の農園等、都市型の農業になると思いますけれども、そういう残された道はあるというように思います。ですから、これはやはり指導者といいましょうか、指導力の問題ではないかなというように思います。

 そういうことを踏まえまして、けさも私は地域振興課長と朝から議論をしてきたところでございますが、そういう指導体制の整備というのをし、そして地域に理解をされる中での農業、そしてお互いに共存共栄できるような農業というものが残された道ではないかなというように思います。特に何をつくりなさい、専門的なものをつくるということは非常に難しゅうございますので、そういういろんなものが生産される、家庭菜園的にいろんなものが生産されるものを皆様方にお分けをする、そういう方法が志免町の農業の生きる道ではないかなというように思います。

 以上です。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 非常に細かい面についての考え方なりをお話しいただいたわけなんですが、志免町の皆さんが農工産品については、こういうものが志免町の特産なんだよというようなことは、現在余り知られてないんじゃないかなというふうに思うんです。そういう意味において、むしろ実態がわかるように、まず洗い出しが必要じゃないだろうかというふうに考えております。そしてその後に、今度は今指摘されましたように、産地とそれから消費地が直結した流通の確立だとか、そういう問題は当然企業努力といいますか、事業者の努力として考えていかなくちゃならん問題があろうかと思いますけれどもまず実態把握がなされていないのじゃないかな。地域振興課長、この辺について、そういう洗い出しをやった記憶ありますか。



○議長(堀清策君) 児嶋地域振興課長。



◎地域振興課長(児嶋賢始君) 具体的には、洗い出しということはいたしておりません。ただ、先ほど町長が申し上げましたように、志免町におきましての農産物の特産というものは、これといったものはあってないというふうにちょっと考えております。といいますのが、いうなればその四季折々にできます野菜ですね、家庭菜園的な生産される野菜、それとまた夏季におきましては、町長もされてたわけですが、ランですね、そういうふうなものが今2個あるということで認識をしているところでございます。ですから、隣の町に行きました場合は、粕屋町においては、ああいうふうなブロッコリーですか、というようなもの等もあるわけでございますが、それぞれその地域また町において、その土壌というようなもの等において、そういうようなものが育ってこなかったんではないかなというような認識をちょっと今しているところでございます。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 無から有を生ずるというように、最初から名産があったわけじゃないわけです。やはり、人が苦労し、そしてこれをやるんだという意志があって、一つの品物というものができ上がってきてるわけなんですが、行政として、その辺について志免町の特産はこれでいこうじゃないかとか、あるいはこういうものがあってほしいという問題が必要ではないかと。これは、どこの自治体でも今必死になって探している。

 大分県の例を言うならば、一村一品運動がなされて、そうして一村に対して一品が名産をしゃにむにつくり上げていってる。志免町はそれがないんですね。どこに原因があるんかと思っていろいろ考えるんですが、そんなことまでせんで税収はぼんぼん上がるし、それから人口はふえてくるしというようなことで、非常に、いうならば成り行きに任せた政策があってきたんじゃないかなあという反省があります。

 そこで、次に入りますが、これa、bとありますが、cはこれはbの説明なんですが、自然立地の活用と環境整備について申し上げますが、一例を申し上げますと、田川市の香辛料生産、温室パプリカですね。それから、ボタ山の町であった飯塚市、あれは電子工大ができ上がって立派な学園都市になっております。北海道の炭鉱の町であった夕張、これはメロンが夕張メロンで有名です。しかも、最近では夕張はバラをつくり上げています。しかも、この夕張炭鉱のごときは、驚くべき問題があります。要するに、近代化産業としての石炭工業の記念館が立派にでき上がって博物館があります。

 志免町はもう片っ端から崩されてしまっている。残っているのはボタ山と竪坑だけということです。どういうふうな考え方でこれから志免町の状況を持っていく考えであるんだろうかというふうに、きのう、おとついと一般質問を聞きながら、私は反省しておったわけなんですけれども。

 もし、町にあの竪坑の保存の意思が今から20年前にあったとするならば、どんな手が打てたんだろうかというふうに考えてみますと、町民の努力がまず要請されます。それから、行政自体の努力が必要になります。そして、なおかつ近隣の市町村との合意形成がなされ、政治家を動員して国の予算を引っ張ってくる。先ほど指摘しましたように、九州国立博物館ですか、これは20年かかっております。そして、国立博物館は、動きをすると同時に、要するに住民に寄附を募っております。

 もし、志免町に本気で文化遺産を守ろうと、あるいは周辺の問題を、地域浮揚策を考えようというならば、志免町自体の単独の目的基金を設置することも可能であったんじゃないかと。それもなされていない。



○議長(堀清策君) 傍聴席の方、少し静かにお願いいたします。



◆6番(山地政美君) さらに言えば、もし町民があの竪坑を保存すべきであるという意思があるならば、町民の中から寄附を募って、そして文化財保護運動が展開されてしかるべきだというふうに考えます。それだけのことをやって初めて、町と町民の姿勢が確立され、さらに周辺の須恵、粕屋町との問題が展開していくならば、これは膨大な力になって国を動かすことができると思うんです。そういうことをせずに、目先のことだけで志免町単独では対応ができませんというのは当然なんです。私は最初からこれを聞きながら、ずっと議員になってこれを見ながら、いろいろ文書を見てみて、ああ町はまあ意思がないなという判断をしております。保存する意思がないというふうに判断しております。しかし、やはり考えてみると惜しい文化遺産ではないかなというふうにも考えます。これはもう町長の姿勢の問題であろうかなと思いますし、これからこれを残していく上については、かなり住民も負担が要求されることになろうかと思うんです。

 そこで、問題は、一つ提言いたしますが、もし町長が保存すべきだということになれば、そういう方向づけがなされるんじゃないかと思いますけれども、まずどういう形でボタ山を考え、そして竪坑を考えていくか。この辺の地域振興課の考え方というのは何かあるんですかね、ないんですかね、どちらなんですか。



○議長(堀清策君) 大塚企画財政課長。



◎企画財政課長(大塚健治君) ボタ山開発につきましては、御存じのように国鉄志免炭鉱ボタ山開発推進協議会、粕屋町、須惠町、そして志免町、この3町で形成しておりますけども、その担当は地域振興課じゃなくて、今企画財政課に移っておりますので、そういう立場で一言発言さしていただきますと、今こういった推進協議会の中で具体的に動きがあるということはありません。むしろ、これはもう議員も委員の一人でありますので、御存じかと思いますけども、言葉で言えば、今は国、県、町、それぞれ大変厳しい状況にありますので開発計画推進の好機とは言えないということで、将来に向けた情報収集の調査活動を行う時期であるというふうな、今はそういう認識のもとで、大きな計画を立案するとかそういう段階には行ってないのが事実です。



○議長(堀清策君) 山地議員。



◆6番(山地政美君) 非常に私はその辺で、ボタ協に出まして、どういうことかなということで疑問に思っておったわけなんですが。町民運動の中の一環として、私が議員になる前にボタ山開発「花咲き山運動」というものが展開されておって、非常に喜んでおったんですが、金をかけずにやるという方法もあるんです。資金をかけて短期でやり上げるということもありましょうけれども、ボタ山問題が立ち上がってもう何年になりますか。私が知ってる炭鉱町、筑豊なんかにいろいろありますが、リンゴを植えたり、あるいは梅を植えたり、桃を植えたり、それからプラムを植えたり、あるいはスモモですね、こういうものを植えたりして、いわゆる「フルーツのまち運動」も展開されております。必ずしもすぐ大木を持ってきて植える必要はないんです。10年、20年の計画を立てるならば、立派な地域浮揚策ができると思うんです。そういう長期プランが志免町には今欠落してるんじゃないか。

 東京では緑が少ないから、自分たちが持ってる樹木、これが不要になったら、緑の宿泊所というものが区によってつくられておりまして、そこに持っていって植える。不要の木を植える。そうして、必要な方は区に行ってその木をもらって自分ところに使うと。

 ボタ山も、これは上の方は無理かもしれませんけれども、もし金がかけられなくて放任するというならば、やはりそういうフルーツ運動も展開できる。これは一例ですよ。それをせよということを言っておりません。

 田川市が温室パプリカをつくり、そして北海道の夕張がメロンとかバラをつくって、そうして地域浮揚策をやってる。あるいは筑豊の大隈あたりが「フルーツのまち運動」をやってる。こういうことを必死になって自治体がやってるにもかかわらず、全然志免町にはそういうものはない。もう少し、課長さんあたりにこういう地域浮揚策を考えようやないか、志免町にこれだけのことをやろうやないかという意見がなかったんですかね。私は非常に残念でしようがございません。今からでも遅くないです。木一本ずつ植えていけば、10年先、20年先には立派な大木になりますよ。何かその辺で、一つの視点として申し上げておきます。町長、どうですか。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) 先ほど志免町の現状等についてお話をさせていただきました。それぞれに夕張メロン、あるいは嘉穂のフルーツ村、フルーツ王国というんでしょうか、フルーツ村のお話もございました。それから、田川に香辛料の生産工場団地の話もございました。私どもも、いろいろ調査をさせていただきましたが、なかなかそれぞれが立地をするのは、やっぱり特徴がなからないとそのことは続いていかないわけでございまして、夕張メロンはやはり夕張メロンができる、そういう環境がきちっとあるわけでございます。

 先ほど田川の香辛料の生産団地のお話をなされましたが、調査をいたしましたら、これは計画だけで途中で断念をされておりまして、その団地は現在できておりません。なかなか産炭地の跡の利用というのは、非常に難しいと思います。特に、ボタ山を使って植物をということになりますと、土壌改良をどのようにやっていくかということで、ほかの産地、あるいはほかの地域とどう競争していけるかというようなこと等があろうかと思います。そのようなことで、何か志免町にできることはという思いを常にしておるところでございます。

 先ほども申し上げました。志免町でできること、志免町の特徴、それは先ほど申し上げました、町の中に農業があり、町の中に工場がある、つまり地産地消といいましょうか、そういう中での産業であるということでございます。

 そのようなことから思いをずっとはせますならば、なぜ私が花つくり運動を提唱してるかというところに触れさせていただきたいと思いますが、志免町でできることは、私が今考えてできることは、花いっぱい運動ならできるというように思った次第でございます。これは福岡市に隣接した、そういう都市化がだんだん進んでくる中で、何ができるかと。今回も皆様方に提案をさせていただいてます、予算の中で提案させていただいてますが、吉原地域にコスモスを少しつくりたい、少しふやしてみたいというように思ってます。そのコスモスのかかわりは、保育園の子どもたちにもかかわってもらいたい。老人クラブの皆さんにもかかわってもらいたい。ボランティアの皆様方にもかかわってもらいたい。かかわってもらうことによって、自分たちが行政との一体感を持っていただきたい。昨日もそのような一般質問がございました。そのことによって町の中がきれいになり、そしてまたそれぞれが誇りを持てる。自分たちもやったんだという喜びを感じていただく。そのようなことも一つの方法、方策ではなかろうかというように思います。福岡空港からおりたらすぐ、博多駅から10分か20分ぐらいのところで、非常にきれいな町のあるげなと言われるような町、これも一つの方法ではないかと思います。

 もちろん、ボタ山を云々ということもございます。でも、このボタ山というのは、先ほども企画財政課長が申し上げましたように、粕屋、須惠、志免町のものでございまして、志免町だけでどうこうとは言えません。幸い、私が現在当番として会長をさせていただいておりますので、近々そのボタ協もさせていただきたいと思いますが、やっぱり建設的な意見を皆様方に述べていただいて、どうすればいいのか。将来の展望等について真剣な議論を深めていただきたいというように思います。

 そのようなことで、何か志免町らしさ、あるいは志免町として誇れるもの、工業も、あるいは農業も、何かそういう特徴あるというところから、せめて今できることは、できることから取り組みませんと、幾ら大きな夢を描いてもできないことは、いいますなら10年も20年もかかるわけでございます。とりあえずは、この花いっぱい運動、花つくり事業を皆様方にも御支援をいただいて、みんなでそういう喜び、参加をしていただいて喜んでもらう、そして一体感が醸成できる。また、そのことによって高齢者の皆様方にも何か病院に行かないで、そういう花づくりの御支援をいただくというような、そういう複合的な喜びにつながるような、あるいは自慢できるような、そういうまちづくりにできないかというように思っております。



○議長(堀清策君) あと3分です。

 山地議員。



◆6番(山地政美君) 私が言ってるのは、そういうできること、これは当然だと思いますよ。ただ、毎年毎年何千万円もかけて、こういう花いっぱい運動をされていくということが、未来永劫に続けるのかどうか、その辺も問題もやっぱり見ていかなくちゃいかんと思うんです。

 そういう意味において、長期マスタープランというものを考える必要があるんじゃないか。例えば、島根県の奥地にあります森鴎外の出身地ですが、ちょっと場所、出てきませんが、リンゴ園がきれいに並んで栽培されております。だから、短期の施策と長期の施策が要るんじゃないかということを申し上げてるんです。その辺で長期プランが欠落しておりませんかということを言ってるわけですから。十分この辺の問題を配慮しながら、今後それじゃ、具体的に長期プランは何があるか。こういうものを考えながら、ああ南里辰己町政のときにこういう施策が打ち出されたと。そして、その中でこれは我々町民にとって、子が孫がこれはいいことだったというようなことを僕は残してもらいたいというふうに考えてるんですよ。

 花いっぱいも、それは私は否定しておりません。否定しておりませんけれども、年々歳々同じことで膨大な資金を投入していく場合にどうなるんだろうか。私はそういう点でちょっと視点を変えてきょうは質問したわけですが。もう一つ、そういう点で最後に町長の御見解を聞いて、私の質問を終わりたいと思います。環境問題については、次の機会に譲りたいと思っております。



○議長(堀清策君) 南里町長。



◎町長(南里辰己君) いろいろ御指摘をいただきまして、本当に感謝を申し上げます。

 短期的には、今申し上げます花つくり運動、花いっぱい運動、そしてまた長期的には、志免町が禍根を残さない、そしてまた子や孫に引き継ぐときに評価を受けれるような、子や孫たちが幸せになれるような、そういう町政になるように、皆様方と一緒になって何かいろんな方策について、ぜひ知恵をおかしをいただきたいと思いますし、私どもも勉強もさしていただきます。ぜひ御提言等いただきますれば、そのようなことを参考にしながら、今後進めさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

              (6番山地政美君「終わります」と呼ぶ)



○議長(堀清策君) 山地議員の一般質問を終わります。

 以上で本日の日程は全部終了しました。

            〜〜〜〜〜〜〜〜 〇 〜〜〜〜〜〜〜〜

              散会 午前11時30分