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大阪府 高槻市

平成18年史跡整備等特別委員会( 8月21日)




平成18年史跡整備等特別委員会( 8月21日)





        史跡整備等特別委員会記録











            平成18年8月21日(月)



























































              高槻市議会事務局


 
 日  時  平成18年8月21日(月)午前10時 0分招集





 会議時刻  午前10時 1分 開議


       午後 0時 2分 散会





 場  所  第3委員会室





 事  件  別紙審査日程のとおり





 出席委員(9人)


 委  員  長    大 川   肇  副 委 員 長    杉 本   久


 委     員    野々上   愛  委     員    森 田 充 二


 委     員    林   啓 二  委     員    久 保   隆


 委     員    岩   為 俊  委     員    川 口 雅 夫


 委     員    池 下 節 夫


 議     長    新 家 末 吉





 理事者側出席者


 市長         奥 本   務  助役         寺 本 武 史


 教育長        一 瀬   武  政策統括監      福 田   勲


 市長公室長      清 水 怜 一  市長公室理事     石 下 誠 造


 市長公室理事     高 橋   正  総合政策室参事    大 矢 正 彦


 総務部長       山 本 政 行  財務部長       中小路 栄 作


 財務管理室長     乾     博  市民協働部長     中 瀬 利 行


 技監         古 谷 幸 二  建設部長       長谷川   健


 都市産業部長     倉 橋 隆 男  公園緑政室長     逸 見 耀 一


 社会教育部長     久 米 泰 雄  社会教育部参事    森 田 克 行


 その他関係職員





 議会事務局出席職員


 事務局長       具 志 裕 一  議事課長       舟 木 正 志


 議事課主任      池 田 純 二  議事課事務吏員    羽二生   純














    〔午前10時 1分 開議〕


○(大川委員長) ただいまから史跡整備等特別委員会を開会します。


 ただいまの出席委員数は9人です。


 したがって、委員会は成立します。


 傍聴の申し出がありますので、よろしくお願いします。


 委員会が始まる前に、私の方から一言。今回、この特別委員会に安満遺跡芝生公園等の整備についてが案件として付託をされました。きょうも含めて、今後もいろいろ議論が、それぞれの立場から行われるものと思っています。もちろん質疑は自由ですし、輪っぱをはめるものではありませんが、本日は最初ですので、基本的な議論の前提について、中心的な質疑が行われるよう期待をしております。


 議事に入ります前に理事者から発言があります。


○(奥本市長) おはようございます。


 史跡整備等特別委員会の開会に当たり、一言ごあいさつ申し上げます。


 本日は、正副委員長を初め、委員各位におかれましては、議会閉会中、急遽お願いいたしましたにもかかわりませず、またこの夏の大変暑い中、ご出席を賜り、まことにありがとうございます。


 本日は、本年5月の本会議で付託事件の追加のお願いをいたしまして最初の史跡整備等特別委員会でございますので、よろしくお願いいたします。


 本日の案件は、安満遺跡芝生公園等の整備についてでございます。


 安満遺跡芝生公園等につきましては、安満遺跡内の京都大学大学院農学研究科附属農場を中心に、人々がつどい、語らい、市街地における市民のオアシスとなる遺跡芝生公園等の整備に向け、その課題整備などを進めるため、議会でのご論議を踏まえながら、取り組んでまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。


 また、地権者であります京都大学とは、去る18日に農学関係の責任ある立場の方々と直接にお会いいたしまして、私からお話を申し上げ、今後、さらに情報交換を行うことで、確認いたしたところでございます。


 さて、本日は、案件が2つございます。案件1といたしまして、安満遺跡について。主にこれまでの史跡指定などに至った経過などについてでございます。次に、案件2として、安満遺跡芝生公園等の取り組み方針について。これまでの経過や、今日の取り組みの方向性についてであります。


 以上、2案件の具体的な内容につきましては、後ほど担当部局からご説明いたしますので、よろしくお願いいたします。


 本市といたしましては、未来を見据え、発展的に持続可能なまちづくりに取り組む必要があると考えております。そのためには、本市の特性を生かした高槻の顔づくりを進め、あふれる魅力、にぎわいある高槻の創出や、豊かな自然、貴重な歴史遺産などを、本市の地域資源の活用によって、市民が誇りと愛着の持てるふるさと高槻の創造に取り組むことが重要であると考えております。


 委員各位におかれましても、まちづくりの担い手として、ともにご論議いただきますようお願い申し上げます。


 以上、簡単ではございますが、私のあいさつとさせていただきます。よろしくお願いいたします。


○(大川委員長) 発言は終わりました。


 それでは、ただいまから議事に入ります。


 安満遺跡芝生公園等の整備についてを議題とします。


 理事者側の説明を求めます。


○(久米社会教育部長) それでは、私からお手元のレジュメ並びに添付いたしております資料に従いまして、案件1の史跡安満遺跡につきまして、説明させていただきます。


 まず、初めに3ページの資料1をごらんいただきたく存じます。


 高槻市八丁畷町にあります安満遺跡につきましては、図面の中では、1番として示してございます。北は西国街道、南は阪急京都線、西はJRの跨線橋、東は桧尾川付近まででございます。


 これまでの調査によりまして縄文時代から中世まで、多くの遺構、遺物が見つかっております。そのうち、弥生時代の集落跡につきまして、およそ東西1.5キロメートル、南北0.6キロメートルと、大規模なものでございます。


 遺跡の発見は、昭和3年にさかのぼりまして、当時の京都帝国大学が農学部の附属農場を開設した際に、多くの弥生土器や石器が出土したものでございます。この遺跡発見時の研究によりまして、北九州地方に伝わりました弥生文化が近畿地方へ急速に広がったことが初めて明らかになるなど、学術的に大きな成果となっております。


 また、昭和42年には、西日本で初めて溝をめぐらせた弥生時代独特のお墓が確認されましたことや、同じく43年に集落をめぐる濠が見つかるなど、三島地域のみならず、我が国の弥生時代の解明において、大きな調査成果が挙げられておるところでございます。


 次に、資料2をごらんいただきたく存じます。


 安満遺跡におきましては、これまでの調査によりまして、住居が集中をいたします居住域と、水田や水路などからなります生産域、そして先ほど申し上げました多くのお墓が営まれています墓域の3つの要素が明らかとなっている数少ない遺跡でございます。


 それぞれのおおよその分布は、図面に示させていただいたところでございます。特に重要な点はと申しますと、京都大学の農場事務所周辺で確認されている居住域でございます。中でも住居を取り巻く濠は、東西約150メートル、南北140メートルの範囲に及ぶ大規模なものでございまして、濠からは大量の土器、石器などが出土いたしております。


 なお、遺跡の詳しい状況や、重要な出土品につきましては、後ほど、そこにございますスクリーンを使いまして、写真をお示ししながらご説明申し上げますので、よろしくお願いいたします。


 次に、資料3をごらんいただきたく存じます。


 まことに申しわけございませんが、1か所訂正がございます。左端の昭和44年の欄でございます。仮指定の告示の日付が3月6日となっておりますが、3月22日の誤りでございますので、ご訂正のほど、よろしくお願い申し上げます。


 それではご説明いたします。


 安満遺跡の調査並びに史跡指定の経過につきまして、年表として取りまとめたものでございます。先ほど説明させていただきましたように、安満遺跡につきましては、これまでの調査によりまして、我が国の弥生文化を語る上で欠かすことのできない重要な集落遺跡であるということから、昭和43年の環濠の発見以来、その保存を強く要望する声が上がったものでございます。そして、この重要遺跡を恒久的に保存するためにも、大阪府教育委員会が昭和44年に環濠が発見されました調査域について、史跡仮指定を行ったものでございます。


 その後、文化庁、大阪府教育委員会、高槻市教育委員会は、史跡指定を行うために、地元所有者等と遺跡保存について協議を進めますとともに、その過程におきましても、開発計画のありました一部の土地につきまして、先行買収するなど、その保存に努めてきたところでございます。


 また、その後の確認調査によりまして、井堰の確認など、遺跡の重要性がますます高まったことを受けまして、平成3年に京都大学農場とその北側の民有地を合わせました対象地21万4,167.82平米につきまして、史跡指定申請を行い、平成5年11月に申請地の一部6万3,765.82平米について、指定告示がなされたものでございます。


 次に、資料4をごらんいただきたく存じます。


 昭和44年の史跡の仮指定以後、これまでの公有化の状況を示したものでございます。現在、指定面積に対します公有化累計面積は、2万653.15平米となっておりまして、公有化率は32.4%でございます。なお、史跡の公有化事業に関しまして、地元地権者の要望等も踏まえまして、今後とも、鋭意努力していく所存でございます。


 次に、案件2ともかかわるものでございますが、今後の京大農場部分の遺跡保存につきまして、平成17年6月に文化庁によりまして遺跡の確認調査を実施し、その調査結果を受け、重要遺構は保存する。そして、重要遺構以外については、記録保存の措置を施した上での開発は可能であるという見解を示されております。


 教育委員会といたしましては、この見解を尊重いたします中で、京都大学の同意を前提にいたしまして確認調査を実施し、重要遺構については、史跡指定を行った上で保存を図ってまいるものでございます。


 なお、確認調査の実施に当たりましては、文化庁、学識経験者等から構成されます調査検討委員会を設置いたしまして、その指導のもとに行おうとするものでございます。


 以上、よろしくお願い申し上げます。


 それでは、引き続き、担当からパワーポイントでご説明を申し上げますので、よろしくお願いいたします。


○(森田社会教育部参事) それでは、私の方から、安満遺跡の概要を説明させていただきます。


 今、部長の説明にもございましたように、安満遺跡は、ちょうどここに桧尾川が流れておりまして、桧尾川がもともと形成いたしました扇状地の上に集落遺跡が立地しておるということでございます。範囲につきましては、西国街道、あるいは阪急京都線、西については跨線橋、東は、現在の桧尾川が、一応、その限りになっておるということでございます。真ん中に示しております赤い線で矩形にくくっておりますものが、現在の史跡指定の範囲ということでございます。安満遺跡といたしましては、周りにさらに広がっておると。


 次に、ここは、同じく弥生時代の天神山遺跡でございます。ここは第八中学校、紅茸山遺跡、これも弥生時代の集落跡でございます。


 それから、ここの9番と示しておりますのが、先年、公園墓地で見つかりました安満宮山古墳の位置でございます。ちょうど、この安満弥生集落のリーダーが埋葬されておるというふうに、現在は考えられております。


 次。遺跡の航空写真でございます。ここが安満遺跡の、残っておる部分でございまして、この部分が京都大学の農場の範囲、この北側の水田の部分が、現在、史跡指定を受けております約6万4,000平米弱の範囲で、赤い線で示しております。


 それで、ここが安満山でございまして、先ほど申しました安満宮山古墳がここに位置をしておるということでございます。


 現在、桧尾川はこの成合の谷の方からずっと南へ下って、東の方へ折れ曲がっておりますけれども、弥生時代の当時は、どうもここから真っすぐ安満遺跡の中心部に向かって流れてきたというふうなことが発掘の調査結果からわかっております。


 先ほど申しました遺跡範囲としては1.5キロメートル、南北500ないし600メートルの範囲ということでございます。


 次、お願いします。


 少し拡大したものでございます。これは、現在の京都大学の農場の周辺ということです。


 次、お願いします。


 これも先ほど説明ございましたけれども、安満遺跡が昭和3年に発見されましたときに、たくさんの資料が出てまいりまして、ちょっと見にくいかと思いますが、「安満B類土器考」という研究論文が発表されました。たくさんの土器が出てまいりまして、A、B、Cの3つに分けられました。Aというのは、非常に表面を飾り立てた装飾性豊かな土器。B類というのは、非常に丁寧につくった、厚手の弥生土器、C類というのは、ちょっと粗雑なつくりの弥生土器と。その中のB類として分類されましたものが、北九州に遠賀川という川がございますけれども、そこから出てくる弥生時代の最初の土器と、ほぼうり二つというふうなことが初めてわかりまして、中国から朝鮮半島を伝わってやってまいりました稲作文化というふうなものが、北九州から瀬戸内を通りまして、この淀川の流域に間髪を入れずに伝わってきたというふうなことが、初めて明らかになったというふうな、記念碑的な論文でございます。


 次、お願いします。


 これは先ほどの説明にもありましたが、41年の最初の安満遺跡の学術調査を実施したところでございます。この部分から右側が、現在の京都大学の農場、この部分から北側、史跡指定を受けておるところでございます。


 史跡指定の立場から申しますと、ちょうど、今現在の指定地の南端部に当たるということでございまして、この時、既に、後からわかったことでございますけれども、環濠の一部が断面にひっかかっておったというふうな状況でございます。


 次、お願いします。


 これは、その明くる年に初めて、面的に発掘調査を実施いたしまして、この時も弥生時代の中ごろのお墓とか、溝とか、あるいは古墳時代の最初のころの生活の跡というふうなものが写っています。写真は北から南の方を向いている。


 これがそのとき出てまいりました最初の、お墓のお話であれなんですが、ここに木棺の底板が出てまいりまして、ここに小口板が上に支えてある。6枚の板で、本来はつくるものでありますけれども、そうしたお墓。その周りに、ちょっとわかりにくいんですが、溝がめぐらされておるというふうな状況がわかってまいりまして、その中に、子どもさんを埋葬した土器の中に人骨を入れた、つぼ棺と呼んでおりますけれども、そういったものも出てきたということで、こういうように、木棺の周りに溝をめぐらすというのは、今でこそ弥生時代の近畿地方の墓制といいますか、お墓のやり方としては定番になっておりますけれども、安満でそれも初めて確認ができたということでございます。


 同じ時期の調査でありますけれども、ここが先ほど言いました木棺の痕跡であります。大体、1つのお墓で、3体ないし4体ぐらいの遺体を埋葬しておる。それをその溝でくくっておるということで、現在の評価といたしましては、家族を単位としたお墓ではないかと。いわゆる成人と子どもさんのお墓、一緒に埋葬されておるというふうなことでございます。


 次、お願いします。


 これは、環濠の調査でありまして、昭和43年の調査であります。この幅が、大体3メートル、深さが1メートルぐらいの、環濠の一部でございますけれども、調査中の風景でございます。


 蛇足でございますが、これ、私の高校時代の写真でございます。


 この溝を完全に発掘調査した。累々と木製品が出てまいりまして、弥生時代、ご存じのように稲作を生活の基盤としておりますので、くわとかすきとか農耕のための道具ですね。基本的には全部、カシとか、そういった非常にかたい広葉樹を加工してつくるというふうなことでございます。


 次、お願いします。


 これが出土状況の一端でありますけれども、くわの半製品ですね。厚い板材をつくりまして、こういう船形の突起を削り出して、これを分割して、これだったら3つないし4つのくわの途中のものであります。そういったものが、製作途中のものが出て来ておるということでございます。これはくわの先っちょで、ここは柄が折れておりますけれども。


 これは、木製の高坏といいまして、お供え物を乗せるためのくり物でございます。


 これも同じように高坏でありますが、あとでまた図案は出しますけれども、ベンガラできれいに彩色をしておるというふうなことで、こういったものも非常によく残っている。


 こういったものが残っておりますのは、安満遺跡の場合は、ちょうど桧尾川がのど元にあるわけでありますけれども、たびたび洪水を起こすというふうな形で、こういったものも製作途中なんでありますけれども、多分、台風のシーズンとか、梅雨のシーズンなんかに洪水を起こして、完全にこういったものがパックされておると。無意識的にパックされておりますので、弥生時代ですから、1回埋まったものをもう1回再発掘するよりも、新たに溝を掘るという方が、言うたら簡便なしぐさになるというふうな形で、掘り返しが何回か行われておると。そういったおかげで、こういった貴重な資料が残されてきておるということでございます。


 次、お願いします。


 これは、こういった砂れきが全部洪水で再堆積したものでありまして、ここにずっとカーブしておりますのが、外側の環濠の調査途上の写真でございます。北側を向いておりまして、ここがJRの京都線で、この向こうが電車区という形になるわけであります。


 次、お願いします。


 これは、京都大学の農場の東南の隅っこの調査区で、大阪府教育委員会が1970年に調査したものでありまして、これはもう、弥生時代の木製の棺といたしましては、すごく残りのいいものでございます。厚さ十五、六センチのコウヤマキの板材を6枚用意いたしまして、それを組み合わせて、長方形の箱型の棺をつくっておるということでございます。


 発掘調査いたしますと、水銀朱を底板に塗りまして、そういう神聖な入れ物としてしつらえた後に、遺骸を埋葬しておるというふうなこともわかっております。


 これ、小口板2枚、端っこにありますけれども、これもきれいに落とし込みという、鉄製品で矩形にくりまして、そこへ小口板を落としこんでいるという、非常に細工が巧妙なものでありまして、この落とし込みの部分も、溝に側板をえぐりまして、スコンと落とし込む。いわゆる建築部材のような、しっかりした加工をしておるということでございます。


 このコウヤマキにつきましては、安満遺跡周辺では生えておらない木でありまして、恐らく近畿地方の南部、和歌山の紀ノ川流域とか、そういったところから運んできたものであります。


 これも高垣町のお墓、連続して営まれている状況の写真でありますけれども、これはもう、木棺残っておりませんけれども、こういったところに1つずつ棺おけが入っておる。これなんかは、7体か8体、1つのお墓の中に埋葬しておるということでございます。


 先ほどお見せいたしましたように、非常に大きな部材の棺おけなんでありますけれども、復元いたしますと、今現在、判明しておりますだけで、こういったお墓が100基出ております。100基について、1つのお墓に大体4体ないし5体の埋葬でありますから、このエリアで、調査区の外も含めますけれども、そこだけで500人ぐらいの埋葬があったんだろうと。弥生時代で500人の埋葬というのは、非常に大きな集落というふうに考えていいかなと考えております。


 これも、弥生時代の生業にとりまして、一番生命線といいますか、水田経営をやりますのに用水路を設けるわけでありますけれども、その用水路と、その用水路の水をせきとめるための井堰であります。用水路も、ここは幅が大体3メートル50から4メートルぐらい、深さが1.5メートルぐらいあります。非常に、流れに直行する形で、くいを何本も打ち込みまして、そこにミカン割りと申しまして、材木を、ミカンの断面のような形で割って、それに横木を差し渡して、水をせきとめる。


 この端っこの、西側になりますけれども、水門を設けて、要らないときはそこから水を落とすと。田んぼに水を入れるときはこの水門を閉めて、この上にあります用水路から水田の方に水を引き込むといった仕掛けが、きれいに発見されたということでございます。


 この井堰にかかわりまして、非常に大事な遺跡でございますので、お祭をやっております。


 お祭は具体的にどういうことでやるかと言いますと、こういう、非常にきれいなつぼ型の土器、紋様を施してあったりとか、あるいは、これなんかそうなんですけれども、全部口を、あえて意識的に打ち欠いて、土器の日常性を損なうような形でのお祭の道具として、この井堰の周りに置いておる。調査でこれが9点ばかり見つかっております。今のところ、安満遺跡で一番古い弥生土器と考えられるわけです。


 これは、安満遺跡から出土いたしました遺物のごく一部を並べたものであります。先ほどから何回も申し上げておりますが、稲作農耕が主たる生業でございますので、こういったものは、今まで石包丁は石包丁と呼んでおりましたけれども、粘板岩に穴を2つあけまして、そこにひもを通して、指をかけて穂首刈りをする。水田は全部田植えしまして、同じ品種をそろえておりますから、同一時期に収穫できるわけでありますけれども、弥生時代の稲作は、種を直まきいたしまして、生えてきた、育ってきた順番に穂首を刈っていくということで、稲刈りをせずに穂首刈りで収穫をしておった。


 だから、秋は毎日田んぼに出て収穫をすると、そういった収穫部でありまして、一番、大事な石器ということになりますけれども、これは粘板岩と申しまして、板状に割れる性質の石であります。


 これは、滋賀県の高島郡の方でとれる石でありまして、わざわざそこから琵琶湖、淀川を通じまして、安満遺跡に素材が持ち込まれまして、その素材を安満遺跡の集落の中で加工して、それで石包丁に仕上げると。


 特に、安満遺跡の場合は、自分とこの集落で使う分の石包丁の数以上につくっております。そういうことからいうと、周辺の集落に、安満遺跡でつくったこういった石包丁を供給するという、いわゆる供給センター、物資流通センターの役割も果たしておるということでございます。


 もう1つ、こっち側は弥生時代、稲作農業でありますけれども、山野に入りまして、いわゆる狩猟も同時にやるわけでありますけれども、そういった矢じりのたぐいであります。これも、安満遺跡周辺にはとれない石でありまして、奈良と大阪の府境にあります二上山というところからとれるサヌカイトという、非常にかたい石でありまして、そういったものを、集落の中にもってまいりまして、安満遺跡の中で武器や狩猟具に仕上げていくというふうなことで、これも、この上と同じように、やはり土器の場合は全部、自分らの集落で粘土と砂を用意して形づくるわけでありますけれども、石器の場合は、どうしても石材の産地との関係が出てまいりますので、情報ネットワークといいますか、そういった流れの中に位置づけられないと、こういったものも、なかなか手に入らないということでございます。


 これは、安満遺跡の、非常にまれですけれども、赤漆を塗りましたかんざしであります。恐らく、女性が舞いをしたときにとめたりするような、あるいはくしけずるときに使うものでありますけれども。


 これも同じように赤漆を塗って、非常に工芸品としてもすぐれたもので、これはもう日本では数点しか確認されておらないというものでございます。


 漆製品は、ご存じのように、基本的には縄文時代の、縄文文化の産物でありまして、安満遺跡につきましては、どうも稲作農耕が伝わってくるという段階で、縄文人とうまく融合して、縄文人が稲作を受け入れたというプロセスも、こういったものが、同じところから出てくるというふうなことで、理解もできるんだろうということでございます。


 これは先ほど出てまいりました、高坏の彩色の紋様を図柄として復元したというふうなことであります。これも、基本的には、縄文時代の紋様を踏襲しておるものだろうというふうに考えております。


 これは、これから弥生土器のお話でございますが、これは弥生時代の中ごろのかめ型土器にかかれてあります、へらでシカの絵がかいてある。このシカの造形は、銅鐸という、こういう弥生時代の金のお祭の道具があるわけでありますけれども、そこにかかれてあるシカとうり二つの造形のものでありまして、体と角が生えておるというふうなことでございます。


 ここに掲げておりますのが、安満遺跡の一番最初の、前期の段階で出てきた土器のセットであります。つぼ、鉢、かめ、そういったもののセッティングであります。


 この中で、こういったつぼが、先ほど申しました九州地方との関連が非常に強い形であるということです。


 ここにちょっと黒く写っておりますのが、ひょうたんを模しました土器でありまして、これも安満遺跡固有の造形品ということであります。これが、参考に出ておりますけれども、今のひょうたんを同じように首を欠いて、斜めに首を欠きまして、こういったもののモデルとしてあったんだろうというふうに考えております。


 さらに、安満遺跡に数百年、稲作が定着してまいりますと、安満遺跡独特の土器がたくさん出てまいります。特に、首が長くて、ここにこういう突帯というんですか、こういった紋様を施すのは、これもやはり安満遺跡を中心として出てまいりますものであります。


 これなんかは、口に小さい飾りをつけましたものでありますけれども、こういったものは、先ほど、石包丁の話に出てまいりましたけれども、滋賀県との交流のあかしになっておるということであります。そういったものが、セットで出てくる。


 次、お願いします。


 同じく弥生時代の中ごろの土器でありますけれども、こういったたぐいの土器は、こういうふうに移り変わっていくというふうなこと。水差しも、今のジャーのような形になってくると。ただ、取っ手は、今だったら縦についておりますけれども、弥生時代の場合はハンドルが横についている。両手で持たないと、水が注げないと。いずれにしましても、こういう形で、きちっと当時の生活に使っておった弥生土器が、大量に出土しておるということでございます。


 これも同じく弥生時代の中期の土器です。


 大体、土器はその当時、女性がつくるものでありまして、一つの形が変遷していくのは、大体20年から25年たちますと、土器の形が変わっていくというふうなことが確かめられるわけでありますけれども、先ほどの弥生時代前期の当初の物につきましては、北九州の土器と安満の土器がほとんど形が変わってないということでありますから、20年以内に弥生文化がこっちへ到達してきたということのあかしになります。


 これは、弥生時代の後期の最後の方ですね。この直後は、邪馬台国の時代になるといった状況でありまして、こういったことがきちっと、各弥生時代の全期間を通じて、しかもいろんな遺構がきちっと残っておるというふうなことでの、弥生時代の環濠集落、安満遺跡の大きな文化財としての価値があるんだというふうなお話の一環として、お見せさせていただいておるということでございます。


 これが、先ほどの説明にもございましたけれども、京都大学の農場の事務所、この周りに水色で示しておりますのが環濠であります。環濠につきましても、いろいろ地域によりましてくせがございます。安満遺跡の場合は、どうも二重に取り囲む。こちら側から桧尾川の流れがありまして、一部、ここら辺が深くなっております。そういったところに用水路とか井堰とかを設置して遺構の固まりが出てくるということでございます。ちなみに、この部分が京都大学の今の農場、赤で落としましたのが、先ほど部長からも説明いたしました中心になる居住地の部分であります。しっかりと保存をせなあかんという部分であります。


 これは、先ほども申しましたお墓が広がっておるというふうなところで。ちょっと想定部分も含んでおります。


 これは緑の、今、大きく出てまいりましたのが、一番生活の基盤になります水田とか畑とか、あるいは用水路といったことが広がっておる部分と想定される範囲であります。


 いずれにしましても、こういうふうに、同じ弥生時代の集落がありますけれども、中心部分、お墓の部分、水田が広がっておるというふうな部分が、きちっと、相互に確認できる広がりが認められるというふうなことで、希有な弥生時代の集落跡というふうなことで、弥生時代の生活ぶりとか実態とか、あるいはこの高槻から三島地域の弥生時代を語る上では、欠かせない重要な遺跡になろうかということでございます。


 これは、イメージをイラストにしたものでございまして、皆さんご存じの吉野ヶ里遺跡。吉野ヶ里遺跡は、58ヘクタールぐらいありますので、安満遺跡が21万平方メートルと、今、考えておりますけれども、それの倍以上のものがありますが、基本的には同じような要素から成り立っておりまして、環濠、溝をめぐらしたその中に竪穴住居とか、こういった物見やぐらを中心とする人々が生活する空間、その南側に、こういう水田が広がっている。


 それから、こっち側には、お墓が広く展開をしておる。これは成合の谷の方でございまして、こちらが紅茸山、こっちが安満山と考えていただいたらいいんですが、桧尾川が村の真ん中を流れて、この桧尾川の水を引き入れ、稲作をやっていたというように考えられます。


 これは一般的に、弥生時代の農業のやり方というのを、こういった形で、多分、調査をこれからやっていきますと、こういったたぐいのものが検出できるんだろうというふうなことでございます。


 次、これは、赤い線の中が現在の史跡の部分でありまして、公有化の状況をお示しをしています。この部分が、最初に、昭和43年に環濠が見つかった部分でありまして、今現在考えておりますのが、こういうふうに環濠がめぐるんだろうというふうに考えております。その後、教育委員会の方で順次、地権者の要望にこたえる形で、史跡地の公有化を進めさせていただいておる。現在、史跡地の中の割合としては、32.4%が公有化ができておるというふうなことでございます。


 以上でございます。


○(高橋市長公室理事) それでは、引き続きまして、本日の案件2、安満遺跡芝生公園等の取り組み方針について、引き続いてパワーポイントを利用させていただいて、ご説明申し上げます。


 恐れ入りますが、前の画面をごらんください。


 安満遺跡芝生公園等の取り組み方針について。最初に、これまでの経過を、そして次に今後の方向性をご説明申し上げます。


 まず、これまでの経過でございますが、平成15年度の施政方針において、京大農場を対象とし、市民のオアシスとして人々が集い、語らう場となる全面芝生の都市型公園とし、そこにサッカースタジアムを備え、ガンバ大阪の本拠地を誘致するといった方針を発表いたしました。


 その後も、施政方針において同様な方針を発表してきております。一方、検討組織としましては、平成15年11月14日に庁内の関係職員で構成する高槻市都市型公園整備構想検討委員会を設置しました。そして、当該検討委員会といたしまして、都市型公園整備構想中間報告書を取りまとめ、平成17年8月に総務消防委員会協議会においてご報告させていただいたところでございます。


 さらに、その中間報告を受けまして、平成17年12月6日には、助役を長とし、関係部長で構成する高槻市都市型公園整備構想推進委員会を設置いたしました。そして、高槻市の行政案として、巻末資料にもございますが、都市型公園整備構想の基本的な方針を取りまとめ、平成18年3月に総務消防委員会協議会においてご報告させていただいたところです。


 次に、今後の方向性でございますが、案件1でもご説明させていただいたとおり、京大農場部分の安満遺跡につきましては、弥生時代前期の環濠集落を初めとし、弥生時代の生活や物資、流通の実態がうかがえる貴重な集落遺跡であります。そのため、文化庁文化財調査官や学識経験者などからなる調査検討委員会を設置し、京都大学の同意を得て発掘調査を行い、重要遺構につきましては、史跡指定行い、保存していきたいと考えております。


 そして、当該地が市街地の貴重な空間であることにかんがみ、史跡指定以外の部分につきましては、安満遺跡芝生公園等の整備に取り組んでいくものであります。


 また、将来的には、現在隣接している史跡安満遺跡と、発掘調査後に史跡指定の追加があれば、その部分を含めまして一体的な利用を図っていきたいと考えております。


 その安満遺跡芝生公園イメージ図を図で示しますと、このようになります。


 この緑色ですが、安満遺跡芝生公園として整備に取り組んでいく部分でございます。


 なお、京都大学との経過でございますが、これまで本学の事務局を初め、農学研究科において推進委員会設置であるとか、基本的な方針などを報告する際、状況説明を行ってまいりました。


 この遺跡芝生公園等への取り組みを進めるため、京都大学を初め、関係者などに、課題が共有できるよう強く働きかけを行ってまいります。


 また、資料として添付させていただきました都市型公園整備構想の基本的な方針についてでありますが、いろいろな方々のご意見を今後いただきながら、まず公園化の実現に向け、本史跡整備等特別委員会において十分なご議論をお願いし、推進に向け取り組んでまいりたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。


 以上、簡単ではありますが、安満遺跡芝生公園等の取り組み方針についてご説明を終わります。よろしくお願いいたします。


○(大川委員長) 案件1と案件2の説明が終わりました。


 それでは、ただいまから質疑に入りますが、1と2とを一緒に質疑していただいても結構なんですけれども、前段としては、案件1を主に質疑していただきながら、引き続いて案件2ということでさせていただきたいなというふうに思ってますが、よろしいでしょうか。


   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕


○(大川委員長) それでは、主には案件1について、何か質疑がありましたら、よろしくお願いします。


○(岩委員) 市長の施政方針、また公約等から、こういうスケールの大きな特別委員会を設置しはったということは、非常に結構なことだと思います。


 特に、高槻の発祥の地である、今日まで今城とか、また安満山の安満宮山古墳とか、いろいろありましたが、その根源である、最も高槻の根本がここにあるというような認識も、私自身いろんな話を聞いて考えておりますが、これに手をつけていくという意味で、遺跡調査、従来非常に時間がかかっています。こういう過程で、長期でどれぐらいかかるかというような想定、従来のパターンでは想像を絶しますが、やはり短期間に、計画的にこういう議会を挙げてそういう遺跡調査をやっていくという考え方ですね。時間を短縮してでも大いにやっていくという、その辺の考え方があれば示してください。


○(森田社会教育部参事) 今のご質問でございます。安満遺跡につきましては、先ほどもご説明申し上げましたように、弥生時代の環濠集落といたしまして、日本の中では非常に希有な、貴重な遺跡だということでございます。


 文化庁といたしましても、あるいは教育委員会といたしましても、この重要な遺跡を、基本的には長く保存をしていくというのが大前提になろうかなと思います。


 ただ、最近の動きといたしまして、文化庁の方では、史跡につきましては、保存と活用という二本立てのもとに進めていくのが、これからの史跡のあり方ではないかというふうな考え方を示されております。


 したがいまして、史跡、今現在、公有化の途上ではございますけれども、将来的には確認調査というふうなものを施した中で、整備し、公開をしていくというふうなことでございます。


 ご質問のありました調査期間等々につきましては、これはさまざまな調査のアプローチの仕方がございますので、そういったことは、具体的な段階になって計画が立てられるし、調査検討委員会の中でご議論もいただきながら、具体的なスケジュール等々は勘案していきたいと考えております。よろしくお願いいたします。


○(岩委員) 委員長の指示どおり、案件1、さらに案件2と進むわけですが、非常に微妙な点もありますので、含めて、関連して質問しますけれども。


 基本的な質問をせえということですので、簡単に言いますが、要するに、今回の一つの市長の政策的な、また高槻市の行政としての方向性を、こういう特別委員会で出していきたいというような要請でありますから、いわゆる遺跡の調査で保存、活用、この辺と、市長がおっしゃっている、行政が我々に提案している行政の政策目標、その辺の組み合わせが非常に、時間等も含めて一定の、きちっとしたスケジュール的にできるのかどうか。


 ここは遺跡やから置いといて、ここは違うから外しとこうとか、そういうような発想やなしに、全体的な中でどのような整理をしていくという、これも非常に時間的な問題もあると思いますが、その辺の遺跡の調査と、一つの行政計画にもなっていく、政策の提案と、その辺の組み合わせ、どのように考えているのか、簡単で結構ですので、基本的な考え方をお願いしたいと思います。


○(新井総合政策室主幹) ただいま、岩委員のご質問ですけれども、先ほど、文化財の方からもありましたように、安満遺跡芝生公園というのは、広大な、貴重な空間でもありますし、本市の将来にとっても極めて重要だということで、本特別委員会に付託をお願いした経過でございます。


 まずは、17年6月の文科省の見解、その考えに沿って進むべきものだというふうに考えておりまして、安満遺跡芝生公園を確立するために調査検討委員会などを設置して、確認調査をしたいと。これがまず、第一義的にあるのかなと考えております。その上で、安満遺跡の京大部分において、どの場所に、どのような範囲で、どのような重要遺構があるかというところの見きわめを、まずしていきたいというふうなことで考えておりますので、よろしくお願いします。


○(野々上委員) そうしましたら、私も案件1に主にかかわる部分についてということで、簡単に質問をさせていただきたいと思います。


 今回、先ほど、プレゼンテーション、パワーポイントとかも使ってるるご説明いただいた部分は、既に史跡指定をされている部分から、主に出てきたところというところで、まず間違いはないでしょうか。


○(森田社会教育部参事) 先ほどのパワーポイントでお示ししておりました部分は、史跡指定の部分と、それから農場内の大阪府教育委員会が確認調査しております部分の調査成果も一部含んでおりますので、よろしくお願いいたします。


○(野々上委員) ありがとうございます。


 農場内も一部含まれるということでありますけれども、この資料でいただいた、主に(3)のところに当たると思うんですけれども、京大農場部分の確認調査についてということで、今後、進めていく、重要遺構については保存、それ以外の部分については開発も是とするというふうにあるんですけれども。


 そもそも、京大農場ということで、高槻市の物ではなくて、京大さんの持ち物なわけで、どういった形で、京大から協力を得て調査をしていくのか。もしくは、何らかの形で公有化への道筋が立つのか、その見通しが立たないままでは、やはりこの調査自体も、どういったスケジュールで進められていくのかというのが、なかなか理解しがたい。


 その先にある案件2にかかわってくるかと思うんですけれども、大きなスタジアム構想なんかに関しては、さらに年数のかかるものではないかということで、まずはこの学術的な調査研究に関して、今、特に京大農場の敷地内に関して、具体的に何か協力の協定とか、もしくは、正式な文書を交わしたようなものでなくても、今回、この特別委員会を開かれてされるわけですから、ここで何か明らかにできることがあればお示しいただきたいと思います。


○(高橋市長公室理事) 京都大学との関係でございますけれども、先ほど、私がご説明させていただきましたように、高槻市が考えておる将来像、そういったものについては、十分、ご説明はしております。


 しかしながら、そのことがすぐに調査ができるかどうかというものには、まだつながってはきておりません。


 と申しますのは、どのような調査手法があるか。あるいは、そういった中で、今現在、研究されているところにどのような影響が出てくるかということがまだわかっておりませんので、もうしばらくそういったところは調整をやっていかなければならないし、まだまだ手前のところに位置していると、そのように考えております。


 以上です。


○(野々上委員) ご説明ありがとうございました。


 非常にわかったんですけれども、結局は今回、この公園整備ということ自体が、こうやって大きく取り上げるきっかけになった、前回の市長の選挙のときの公約があったかと思うんですけれども、その後、およそ4年がたって、その中で、具体的な対外関係がどういうふうに進展したのかというのが伝わらないまま、今回、こういった特別委員会ということで、私たちもどういった前提の上に議論を進めていけばいいのかなということが、非常にイメージしづらいということを申し上げさせていただきたいと思います。


 特に、案件1の部分ということで、今の京大農場との関係等々に関しては、質問は以上とさせていただきたいと思います。


○(林委員) 今回の特別委員会に付託されたということについては、この安満遺跡、非常に貴重な弥生時代の遺跡を保存する。また、これを確認調査していくという――高槻市にとっても、貴重な財産、また今までにも一体となった、近辺の安満宮山とか、たくさんの遺跡、古墳等の整備もされてきたわけであって、近々にはこの特別委員会で、今城塚の整備の問題を重点的に議論してきまして、それを集約する中で、たまたまこういった行政の方から、この安満遺跡についての史跡を保存するための特別委員会という形になったように、私は受けとめているんですけれども。


 ちょっと事実関係というか、過去のこれまでの議論の中で確認をさせていただきたいんですけれども、先ほどの説明の中にもありましたけれども、これまで、この当該地に関しては、総務消防委員会の協議会等で説明をされてきました。その中で、今、教育委員会の方から説明があった安満遺跡の過去の年表等を通じた遺構区分等とか、こういった詳しい説明はされてきたのかどうか。最初にこの確認をさせていただきたいと思います。


○(高橋市長公室理事) 先ほど、教育委員会から説明いたしました安満遺跡に対する、そういった年表的なことについてのご説明は、今までできておりません。しかしながら、安満遺跡の歴史的な経過につきましては、平成5年でしたか、指定をするに至った経緯も含めて、総務消防委員会協議会ではご報告をさせていただいてきたと、自分では思っております。


 今後につきましては、平成17年6月の文化庁の保存と活用という一つの考え方に従って、よりそういった考えに沿ったようなプランを、しっかりと私どもは立てていきたいというふうに考えております。


 以上でございます。


○(林委員) 重要な位置づけということは、もう当然理解というか、わかった上での今までの委員会での議論、また委員会での説明だったと思うんです。ですが、やっぱりそういった、当初から、きょう説明のあったような、一からの当該地に対する位置づけを再度確認した上での整備をどうしていくのかというふうな説明が、なぜなかったのかということが、非常に残念やと思います。


 それと、案件2の方にかかるかわかりませんけれども、きょうの資料の中の最後のページに、全体的なスケジュール、素案等が添付されておりますけれども、こういった説明は、先ほどありませんでしたけれども、スタートの時点でこういった安満遺跡の重要性というか、市にとって当該地をどうしていくのかという一つの方向、方針というものが、余りにも軽視されてきたんじゃないかなと。それは、なぜかというと、案件2の方にかかわりますので言いませんけれども、それをやはりきちっと整理した上で、その時点では遺跡の整備等、この史跡特別委員会に付託するような考えはなかったのじゃないかな。


 当初は、都市型公園整備構想という形で、中間報告という形で報告されてきているわけです。ですから、この重要な安満遺跡の整備をしていくんだと、保存していくんだということについての、行政としての取り組みが、変なところからスタートしてしまったんじゃないかなということで、私は非常に残念に思う。


 それと、この当該地の公有化の状況、先ほども説明ありましたけれども、32.4%の現状で、本当にきょう、説明いただきましたけれども、今城塚の整備でも、公有化を図るためには、40年かかってずっと取り組んできて、行政がまたいろんな働きかけをして、国にも努力をされて、やっとああいう形に方向性が見えたわけです。


 ここについても、特別委員会に付託するんであれば、そういったここの遺跡の整備にかかわる、公有化を図っていくための一つの行政の方向性だとか、またきちっとした方針を、この部分だけでも明確にしていただかないと、ただ、今、こういう公有化率の状況はこういう状況ですと。そして、先ほどの(3)の確認調査のところで、調査検討委員会を設置をして図っていくと、取り組んでいくというふうに言われてますけれども、これはどんな形で、具体に、言葉だけで調査検討委員会を立ち上げられることじゃなしに、次の特別委員会等にでも、具体に第1回開催したとかというふうに示していただきたいというふうに思うんですけれども、この辺はどうでしょうか。


○(森田社会教育部参事) まず、私の方から、調査検討委員会にかかわる分につきまして、先にお答えをさせていただきたいと思います。


 2ページのところにも書かさせていただいておりますように、安満遺跡の重要性を踏まえた中で、どういった確認調査の手法がいいのか。例えば、どこを調査すればいいのか。あるいは、出てきたものに対して、どういうふうな評価を与えるのかということで、これはそこにも書いておりますように、文化庁の専門の調査官、あるいは大学の考古学のエキスパートの先生にご参画をいただく中で、行政独断ということではなしに、ニュートラル、あるいは客観的な形で調査を進めていこうというふうな形での検討委員会の立ち上げでございます。


 これにつきましては、そこにも書いてございますように、遺跡芝生公園にかかわりましては、前段の京都大学の方の協議を踏まえた中でのスタートになりますので、順番をたがえないように、きちっとしていきたいというふうに考えております。


○(高橋市長公室理事) 都市型公園整備構想から、安満遺跡芝生公園構想への考え方というもののご指摘かと思いますが、まず、15年の施政方針で、初めてこの考え方を明らかにされ、そしてその後、京都大学ともいろいろ接触はしておりましたが、京都大学そのものが国立大学法人を迎えて、非常に煩雑な業務をなさっておったと。


 その中で、私どもは、先ほどご説明申し上げましたように、15年11月に庁内での職員による検討会、これは私どもは勉強会というような形で、関係職員で取り組んだ成果が中間報告書でありました。


 それを受けて、再度、基本的な方針をご報告したところですが、そういった順序を、内部的にはいろいろ職員を集め、意見を聞き、そしてまたそれを上げ、議会でご報告もさせていただき、またそこで貴重なご意見をちょうだいし、今まで流れとしましては、一気に今日に来たわけではございませんが、私どももそれなりに多くのご意見をいただく中で、形態がやっとこの史跡整備特別委員会にたどりついたのかなというふうに考えております。


 今後につきましては、林委員のご指摘を十分踏まえまして、ここできちんと整理をして、ご報告あるいはご意見をちょうだいできるよう取り組んでいきたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。


○(大川委員長) 既に指定をしている場所の公有化の促進の方向性についても、答弁をお願いします。


○(森田社会教育部参事) 公有化の現状の部分を含めまして、お答えを申し上げたいと思います。


 資料4に公有化の状況につきまして、掲げさせていただいております。図面の方につきましては、網掛けにしておる部分が、既に17年度末までに公有化をしておる部分、下の一覧表は、これまで取り組んでまいりました公有化の部分で、最終17年度末で32.4%、累計の面積といたしまして2万653.15平米あるというふうなことは、当初の部長の方からもお話をさせていただいたとおりであります。


 今後の公有化につきましては、地権者さんのご要望にこたえるというふうな形で、史跡の保存を図るための公有化というスタンスが基本的にございますので、そのご要望と、あるいは文化庁との協議調整の中で、文化財といたしましては、でき得る限り早くとは考えております。よろしくお願いいたします。


○(林委員) 地権者のご要望におこたえする。先の長い話やと思います。


 ですから、今城塚の整備のように、私自身はこの特別委員会に付託されたということは、非常にいいことだなと。そして、この吉野ヶ里の遺跡に匹敵する、九州の吉野ヶ里、高槻の安満遺跡というふうな位置づけで、これから本当に高槻市がこの史跡を整備していくんだと。集落として、非常に重要だという位置づけで取り組んでいかれるんであれば、それなりの腹を決めた上で、きちっとやっていかないと、中途半端な形で、いや、まず史跡整備特別委員会に付託をして前さばきをすればいいんだということではいけない。また、それでは、この委員会に付託した本来の目的が達せられないと思いますので、時間をかけて、これは公有化をまず前提として、貴重な財産は明確であるわけですから、そういった点を踏まえて、取り組んでいただきたい。


 それと、1点だけ指摘をして、あとの問題が、皆さんたくさんあると思いますからあれですけれども。


 17年6月にこの文化庁の方針、見解が示されたわけですね。しかし、この総務委員会に示された中間報告は、17年の7月に、もう示されているわけです。だから、この時点でこの文化庁の意向というのは、はっきりとわかってたんだったら、やっぱりその17年7月に中間報告を出されるときに、文化庁からこういう一つ一つの流れとしては出てますというふうな情報があってもよかった。そのとき報告されたかどうかわかりませんけれども、そういった、何か行政は行政でそういう情報を入手して、また行政は行政でやっていくのはいいですけれども、やはり委員会に働きかけ、また議会に示すんであれば、そういった情報を共有、また同じような流れ、経過で議論ができるようにしないと、もうそういう前提が、最初の時点で食い違っているんでは議論にならないというふうに思いますので、今後、そういった京大の意向、見解も当然そうやし、また文化庁にも、これから積極的に働きかけて、どういうふうな流れでこの遺跡整備をしていくのかということも、特別委員会を設置したわけですから、その委員会に示していただきたいということを要望、指摘しておきます。


 以上です。


○(森田委員) そしたら、前提になるようなことをちょっとお聞かせいただきたい。


 先ほど、いろいろ見させていただいて、非常に貴重なものであるということはよくわかったんですけれども。


 ちょっと私、いろいろリーフレットなんかを見ても、約2,300年前というふうに、安満遺跡が表示されているわけですけれども、これ、何年ぐらいの時代が、ここは居住区として、遺跡として、どれぐらいの、何百年間あったんでしょうか。


 それちょっと、まずお聞かせいただきたいなと思います。


○(森田社会教育部参事) 今、ご質問でございますが、お答えの仕方、2つあるかなと思います。


 安満遺跡の弥生時代に関してということであれば、弥生時代前期から弥生時代の後期というんですか、終わりまでおよそ500年間ぐらいは居住しておったというふうには考えられます。


 ただ、遺跡全体としては、冒頭、部長申しましたように、縄文時代から中世までの遺構遺物が見つかっておる。


 ただ、この委員会でも申し上げておりますように、史跡につきましては、やはり弥生時代の環濠集落が非常に大きな部分、他にかけがいのない重要な遺跡であるということでございますので、今のご質問に端的にお答えということであれば、約500年というふうなことで、ご理解いただければありがたいと考えております。


○(森田委員) そうすると、500年といっても、弥生時代ということに対する、何か学説的な認識とかなりずれがあるということも聞いているわけで、かなりの、今後の調査とか、研究とかということによって特定されていくんではないかということなんですけれども。


 先ほどお話あった、縄文時代のものも出ているという、それほど重要な遺跡だというふうに考えてええわけですね。


 とすると、今、これ見させていただいたんですけれども、資料2のこの地図を見ますと、当初、市が公園指定という、構想ということを考えているど真ん中に位置するわけですね。このルークという、集落群ですね。これは、文化庁が言っている、遺構は保存するということになると、この居住区というのは、居住域というのは、保存対象になるんでしょうか。


○(森田社会教育部参事) 今、これはあくまでイメージ図というか、想定図でございますが、これまでの大阪府教育委員会の確認調査を踏まえますと、居住区については、やはりこういった部分が想定できるということであります。


 ただ、確実に進めていくということになりますと、やはり確認調査の結果を踏まえるというのが、事実として、その後の展開ができるんだろうと考えておりますので、よろしくお願いしたい。


○(森田委員) 重要遺構として、この大きさが大きくなる、小さくなるということはあったとしても、そうであるならば、保存するという形のことになるんですか。それを聞いている。


○(森田社会教育部参事) 確認で、居住域の広がりがきちっと押さえられれば、その居住域については、文化庁としては重要遺構と判断されるものだろうと考えております。だから、それは保存の対象になってくるんだろうと考えております。


○(川口委員) 今、安満遺跡について説明をいただきました。説明の中でも、この資料の中にも非常に重要な集落遺跡であるという説明をいただきました。


 先ほどの説明の中にも、吉野ヶ里の話が出てきましたけれども、私もこの8月の初めに、吉野ヶ里に行ってきまして、向こうは、今は58ヘクタールという話がありましたけれども、向こうで聞いてきた話では、まだ公園化をしてない部分というのがありまして、国立公園というのが約54ヘクタール、県立公園が63ヘクタール、開園中が50ヘクタールということで、トータルでいったら117ヘクタールぐらいあるわけですね。だから、うちは21ヘクタールぐらいだから、5分の1ぐらいの規模だなという印象ですけれども。


 やはり吉野ヶ里というのは、非常に、歴史的にも北九州の中心で、国の形成を図るという中で、非常に重要な遺跡ということで、国立公園の6号公園に指定されています。


 この公園の遺跡を保存するために、環濠でも遺跡でも、みんな30センチぐらいの盛り土をやって、きちっとその遺跡を保存して、その上にいろんな住居の跡、物見やぐらとか環濠の整備をして、きちっと遺跡は保存されておるわけですね。まさに、これは吉野ヶ里歴史公園というように明示されてますけれども、まさしく遺跡をきちんと保存して、現代にその弥生時代の姿をよみがえらせるという視点が生かされて、そういう公園になっているという思いがしました。


 だから、この安満遺跡についても、芝生公園という、何するにしろ、経過から見れば、歴史公園というふうになるわけですから、きちっと遺跡を保存するというのが大前提ではないかと思いますので、そういう点で遺跡の保存というものに力点を置いた芝生公園なり、歴史公園というものにしてもらいたいという思いがしております。


 それで、今の案件1の中で、2番の史跡指定の経過という中で、最後のところに、本市においても郷土の歴史を知る貴重な文化財の保存に努めることから、対象地域は21万4,167.82平米について、史跡指定地の申請を行い、その結果、平成5年には6万3,765.82平米が指定されたというようなくだりがあります。


 それで、その下のところでは、文化庁の見解では、重要遺構は保存するけれども、遺構以外については開発可能というような表現がありますけれども、この調査検討委員会というのは、当初から京大農場全部と、現在指定されている安満遺跡、全体を遺跡指定として、遺跡保存の対象に申請をすべきじゃないかと思うんですけれども、この調査検討委員会の姿勢としては、その辺が重要遺構だけというようになってますけれども、全体を遺跡指定するべきじゃないかと思いますが、その辺の見解はどうなのか。


 それから、もう1点、この17年6月に文化庁が当該地の保存について、こういうコメントを出してます。新たな見解ということで、これは本市から何か働きかけをして、こういうコメントを出してもらったのか、その辺の経過を説明を願いたいと思います。


 それから、通常、遺跡の場合は、開発の中で遺跡が出てきたということで調査をするわけですけれども、開発の事業者が費用を負担してやるのか、文化庁の予算でやるのか、調査検討委員会の費用というのは、京大が負担するのか、市がやるのか、その辺はどういうふうになっておるのか。まず、その辺のことを聞かせてもらいたいと思います。


○(奥本市長) 若干整理して申し上げますと、現在、遺跡が指定されている部分のところでも、例えば墓域は住宅が建っております。こうした住宅が建つということで、またこの遺跡があったということが判明したわけです。


 あと、京大とのかかわりからいきますと、ここの京大農場の部分は遺跡指定されておりません。だから、この中の重要な部分として、真ん中に環濠集落があるわけですけれども、市が遺跡指定を申請したときに、京大の方もお願いしたわけですけれども、京大はそれを拒否しておりました。それで今日に至っているわけです。


 だから、この京大の部分をどのようにして、市が取得するかということによって、初めて遺跡の保存が進行するわけですので、そういう意味で、芝生公園の方もさることながら、遺跡指定を受けるということになるためには、京大から市の方へ譲り受けないと史跡指定の申請はできないであろうと。


 それとともに、今城塚の話も出ておりましたけれども、これも長い間かかって、やっと100%の公有化ができたわけです。闘鶏山古墳、これは面積の問題もありましたけれども、一括して公有化いたしております。


 そういうような形で、この内容が調査された中で、どれだけ早く、また京都大学の方が農学部として結論を出される。そしてまた、農学部としての結論が京大全体の国立大学法人としての中でどう判断されるかというような問題もありまして、それからの問題にはなろうと思います。


 しかし、この芝生公園との関係からいきますと、遺跡の整備がまず一番ですけれども、文科省の方針も出ておるというのは、これは岡山で遺跡スポーツ公園が既に先行してできております。そういうことからいたしますと、どの程度、文化庁と話をして、これらを遺跡の部分とスポーツ公園の分、あるいは芝生公園の分と分けていくかということになろうかと思います。


 芝生公園化ということになりますと、これは国土交通省の方の所管になろうかというように思いますので、文化庁の全額補助金というような形で闘鶏山古墳を1件買うたというような買い方はできないであろうと。


 だから、その辺の問題もいろいろ、今後、整理しながら対応していかないけないというように思っております。


 遺跡の部分を、どのように遺跡整備するかということ、これは文化庁の方とのかかわりの予算で相当いただけるわけです。8割はいただけるわけですから、かなり早くいけるんではないかと、このように思っております。


 以上です。


○(川口委員) かなり具体的に、市長から、京大側から譲り受けるというような表現が出たんですけれども。


 この調査確認の参考の中で、京都大学の同意を前提にというのが、そういうことだというふうに理解したんですけれども、私もこの3月、京大農場に市の農林振興の方と一緒に行く機会があって、行ってきたんです。


 昭和3年に京大農場ができて、78年の歴史があるわけですね。京大農場の場長さんの山田利昭教授、京大農場の全部についても、資料をもとに説明をしてもらいましたし、場内の案内もしてもらいました。


 果樹園なんかでも、果樹園が20年、30年に達するような、そういう果樹類が多くて、ナシでも菊水、幸水、豊水、二十世紀、西洋ナシとかいっぱいありますし、ブドウ、それからメロンとかいろいろ栽培。やっぱり農場の、農学部だけに農場の方向といいますか、学生がそこで研修してますし、いろんな研究開発もされているし、京大から300人ぐらい、学生が1学年おるそうですけれども、50人ぐらいバスに乗って、田んぼでも研修を受けて。


 最近の学生は、現場でいろんな教育をしないと、例えばナスビの苗とかわからんというような中で、京大生がいろんな実習をする中で、農業の経験をし、貴重な体験を積んでいくという話をしておられました。


 本当に、これだけのすばらしい農学部があって、これまでいろんな市民講座とか、大学も市民講座で、市の人のいろんな講座に参加されておりますし、地域の人もいろんな経験を積んでますし、非常に貴重な京大農場だなという印象を受けて帰って来たんです。


 だから、本当に今はこういう大学を誘致してまで、まちづくりに生かそうという時代に、農場の転出を促進するような取り組みをされるということについては、非常に私自身は残念でならないんです。その辺の市の、そういうふうになったいきさつとか、経過とか、どうしてそんなことになったのか、非常に疑問でならないんですけれども、その辺の説明をしてもらえますか。


○(奥本市長) 今、ご指摘の点、例えば現在、史跡の指定を受けている部分、ここで公有化率が32.4%です。闘鶏山とか今城とかが解決いたしましたので、あと残りの大きなのは嶋上郡衛跡とここということになります。


 ここの安満遺跡として指定を受けている部分、32.4になっておりますけれども、これを農地の所有者が早く買ってくれと言われて買っていくといたしましても、ここの分だけでは遺跡整備はできません。京大の部分が入らんことには、遺跡整備はならないわけです。だから、農地の分だけで遺跡指定を受けて、どんどん買うていって、これ一体、何にすんねんと言われたときに、この肝心な環濠集落のところが入らなかったら、遺跡整備としては成り立たないということになりますので。


 我々としましては、遺跡指定をしたところだけは金はつぎ込むけれども、あとのところは京大の農場として、今後も使ってくださいということになれば、せっかく先行投資した分が、なかなか生きてこないということになるので、やはり京大農場の方も、この遺跡の重要性というのは、過日の農学部の先生方とお話ししたときには、それは理解をしていただいております。


 ですから、理解をしてもらうということは、即どうのという意味ではないですけれども、遺跡のそういう働きかけがあってということもご理解をいただいておりますから、そういう面で、我々としては話をしていきたいというように思っています。


○(川口委員) 遺跡整備ということで、そういう話も理解はできるんですけれども、遺跡の保存というのは、やっぱりこの京大農場というものがあって、これによって、この安満遺跡というものがきちっと今日まで保存をされておるわけですね。


 だから、あえていろんな、後半にも出てますけれども、安満遺跡というものを京大で保存してきて今日に至っていると。京大として、今後の方向性をどうするのかと。京都大学自身、大学自身が考えることですわな。


 だから、京大自身がどこか移転したい、新天地を求めて移転したいというのであれば、それまで、じっと待っておけばいいんじゃないか。慌てて、ここで売ってくださいと言わんと、じっと待って、それを待って公有化を図っていくという方法が高槻市にとっても、財政的にも少ないし、一番いいんじゃないですか。そういう方法はとらないんですか。


○(高橋市長公室理事) 京都大学との関係でございますけれども、私どもも何が何でもすぐに京都大学さん、出て行ってくださいというようなお話はしておりません。


 今、市長が申し上げましたように、環濠集落の問題も含めて、安満遺跡をまず保存したいというようなことは、当然、お話としてはしております。


 京都大学としましても、昭和3年から約80年にならんとする長い歴史をお持ちなんですが、今日的な農業研究というものについては、満足する十分な大きさではないというようなことも伺ったりもしております。


 そういったところから、それならば高槻市の考え方もお伝えする必要があるだろう。京都大学の考え方も、その中で京都大学としてどういうふうな方向性をお示しになるか、そういったことを今後は、お互い、話をする機会が出てくるんではないかというように考えておりますが、京都大学が出るから、そしたら本市はすぐにこうしましょうというような、そんな対象物でもないと。非常に大きな、貴重な空間でもございますので、十分、その辺については時間をかけて協議をしてまいりたいというような気持ちでおりますので、よろしくお願いいたします。


○(川口委員) 今、私もこの3月に行ったときに、京大としても、やはり本学の下に重要遺構があって、環濠があるとか、それからちょっと東側の方に堆肥化設備があるんですね。堆肥化だから、やっぱりにおいが出るから、この設備もちょっと使えないとか、そういう悩みを言っておりました。


 それから、北側に農場があって、木が周辺にずっとわたるから日照が悪くて、周辺から切ってくれとか、山田先生のお話では、京大としても、さまざまな悩みもあるようです。


 だから、本当に京大に残ってほしかったら、そういう悩みを聞いて、周辺にそういうものの整備をしてあげるとかいうことまでしてあげて、高槻市としては、京大というものは貴重な知的財産ですから、それはいろんな努力をして、きちっと、今後の共存共栄を図っていくというように取り組みをすべきだという考えを持っているんですけれども。


 しかし、そう言っても京大が、いや、売りたいという意向であれば、跡地の利用としては、歴史公園か芝生公園とかいうものもやむを得んのかなというような見解でおりますので。


 案件1は、このくらいにしておきます。


○(池下委員) 安満遺跡というのは、日本有数の貴重な遺跡ではないかと思います。


 今城塚は本当に私もあれがNHKで放映されたときは、いいものが出てきたなというふうに思っておりました。


 そこで、今の話じゃないですけれども、大変重要な遺跡のところは、物が建たないという、これはわかります。そうすると、重要でないところは物が建つ。いわゆる住宅地になってもおかしくないということを頭に入れておかないかんということになりますと、高槻の中心部の大きな空間ということで、高槻市は押さえていくということは必要かなという思いはいたしております。


 ただ、先ほどからいろんな話が出ておりました。一番頭が痛いのは、検討委員会で一般の、さまざまなことを検討していく。調査の規模、期間、場所、手法、いろいろ研究していくということなんですが、少なくとも最後におっしゃった京都大学の研究の影響がわからない、ということは、この京大の考え待ちでしかないはずなんです。


 そうなりますと、京都大学の中でも協議されるという話ですけれども、大体、この期間というものをどのように想定されているんですか。


○(高橋市長公室理事) 京都大学として、今後の方向性といいますか、将来の移設も含めてのお尋ねだと思うんです。


 何分、当該地が研究農場であるということで、AからBに移ればすぐに成果が出るというものではない。これは、素人である私どもも理解できるわけでして、そういった意味では、それなりのスパンはかかるだろう。


 そこで、土であるとか、水であるとか、そういった適正な環境にあるかというのも、今後、京都大学として、仮にAからBの方に移るとすれば調査をなさることだと思います。


 まだ、今、そこまでの結果報告をいただいたわけではございませんので。ただ、何も高槻市の考え方として、こういうふうに考えておりますということを申し上げる中での、京都大学としての意向表明というのは、それはしかるべき時期にはされるというように考えております。


○(池下委員) ですから、京都大学の、先ほど言いましたように、高槻市が広大な土地を押さえるということについて、意思表示をされたということについては、私は了としておりますけれども。


 ただ、その期間が長い。例えば、遺跡整備をせないかんということがあります。これ、急ぐのか急がないのかという。急がないのなら、先ほどの話にありましたけれども、ずっと待てるのかと。ただ、一応、意思表示したということですから、向こうさんの了解をもらわなきゃ前へ進まないということですわね。


 なおかつ、一応、言われている重要遺構というのは、京都大学の今、宿舎が建っているところです。あれを移設せな、まず調査はできないということになるでしょう。そうすると、期間的には相当先のことになるんじゃないかなと。移設させるということについては、京都大学自身がどこかへ移ってからの話じゃないかなという想定をするんですけれども、それはそうではないんですか。ちょっと考え方を教えてほしいんです。


○(高橋市長公室理事) まず、整備の基本的な方向性というのは、先ほど、パワーポイントでもご説明申し上げましたように、指定部分の遺跡公園、指定公園としての公園化、それと、それ以外の部分の遺跡芝生公園というのは、当然、時間の流れのずれは出てくると思います。


 それは、先ほど来出ております文化庁の管轄になるものと、ひょっとしたら国交省管轄になる、整備手法になるかもしれない。そういった整備手法の違いからも、タイムラグは出てくると思っております。


 その中で、京都大学の考え方につきまして、その調査をどの段階でするかというものもそうですが、調査の手法にもかかってくると思うんです。その手法によって、京都大学が今現在でもいいですよという場合もあれば、手法によっては、もう少し整理しなければできないとかいったものは、今後、整理する必要があると思うんですが、今、この時点では、いつごろこういうふうになりますというのは、まだちょっと早いかなというふうに考えております。


 以上です。


○(池下委員) もう時間ですのであれですけれども、まだ京都大学からの期間というのについては、オーケー出るのはまだまだわからないということで、了としておいたらいいですね。


○(高橋市長公室理事) 京都大学としまして、決定をなさるというのは、国立大学法人になられて、いろんな決定機関があると。


 一人の意見が京都大学の意見になるわけではございませんので、当然、そういった経営協議会という名前かどうか、ちょっと私、不確かですが、そういった理事会的なものは、経過を経なければならない。


 そういうところを通じるまで、今、まだ議題にも上がっておりません。中期目標、中期計画というものが、まずその中で掲載される必要があると思いますので、そういう意味では、いましばらくは時間がかかるだろう。しかしながら、本市が考えている考え方については、十分、これは京都大学にお伝えする必要がある。そのことによって、京都大学もいろんな考え方をそこで明らかにされるというふうに思いますので、いきなり売った、あるいは買いますというような話は、これは計画的な考えから言うても、余りよくないんではないかなというふうに考えております。


 以上です。


○(大川委員長) それでは、案件2の議論も幾つかありましたけれども、引き続いて案件2について、今後の方向性や説明がありましたので、その件について質疑を承りたいと思います。


○(野々上委員) それでは、引き続いて質問をさせていただきたいと思います。


 案件2、安満遺跡芝生公園等の取り組み方針ということで、ここでは掲げていただいているんですけれども、まず、先ほどからご説明いただいた当該地、安満遺跡の遺跡がある、非常に重要なものであることが想像にかたくないから、まずその遺跡はきっちり保存していこうというのは、大まかなコンセンサスが得られることかと思います。


 そして、同時に、京大の実験農場も、非常に長い歴史のある、高槻の市街地に隣接した大きな緑の空間ということで、またあそこの緑の空間を極力、緑の空間として残していこうということに関しては、きっちりとアンケートをとったわけでも何でもありませんけれども、大まかに、市民的な合意というのはとれていることではないかなというふうに感じております。


 その上に、今回、あそこに都市型公園の整備を図っていこうということを、方向性として出されているわけです。


 これは、総合計画なんかにもよるところというふうなことを、後からご説明をいただきましたが、一定、公園というようなことも、特に前回の、市長が選挙のときに公約に出されて以降、いろいろな曲折がある中で、一定、公園化という方向の議論の道筋というのも見えてきたのではないかなと思っております。


 その上で、サッカー専用スタジアムという話がございます。公園をつくっても、非常に広い土地ですから、ただ、全面芝生にするだけではいかないでしょうし、遺跡がどういう形で発掘されるか、どういう形で保存するかということも含めて、他県の遺跡公園の例なんかも挙げていただきましたが、そういうことで、高槻なりにその遺跡との公園整備の兼ね合い、またその上にどういった施設をつくっていくかということを検討されるかと思います。


 そして、さらにその上に、ガンバ大阪の誘致というようなことで、非常に階層に分かれて、複雑な議論がされているところなんですけれども。


 やはり、実現可能性というところと、一方で市長が公約として、断固リーダーシップをとって掲げていくんだというふうにされたことがあるかと思うんですけれども、まず、ここでもう一度改めてお伺いしたいのは、ガンバ大阪を誘致して、そしてサッカースタジアムを整備していくんだということ。今、議論がありました公有化に、今城塚で何十年もかかっているやないかという話。また、この資料を見ても、8年かけたこのタイムスケジュールが書いてあるんですけれども、その上で、このガンバを誘致して、当該地にサッカー専用スタジアムを整備していこうという方針に、奥本市長ご自身の決断、揺るぎはないのかということを、まず大前提としてお聞かせいただきたいと思います。


○(大矢総合政策室参事) 先ほどもありましたように、京大農場につきましては、市街地にあります貴重な空間ということで、その部分を守っていかなあかん。さらには、今あります遺跡としても、当然、重要な遺跡がございますので、そこも保存していかなあかん。そういう形の中で、遺跡公園として公園化を図っていくいうのが今の考え方でございます。


 これからの整備の話でございますけれども、整備につきましては、今、議論されております重要遺跡につきましても、それは保存ということで、国等の指示を受けるわけですけれども、それ以外の部分につきましても、整備という部分では、これから議会、あるいは市民の方々のご意見も聞いていかねばならないというふうには考えております。


 そんな形の中で、今回、今、ガンバというような話も出ましたけれども、今回は史跡整備特別委員会という形の中でのご論議をお願いしている部分でございますので、今回の都市型公園という部分につきましても、前段の公園化につきましてのご論議をお願いしたいというのが考え方でございます。


 以上です。


○(野々上委員) ご答弁ありがとうございます。


 案件2の(1)のこれまでの経過というところで、まず初めに、京大農場を対象に、市民のオアシスとしてということでいろいろあって、サッカースタジアムを備えてガンバ大阪の本拠地を誘致するという方針を示し、その後、施政方針においても同様に発表してきましたと、まず、この案件2の前段にこのことが書かれておりますが、今のご説明をお伺いするには、このガンバ本拠地スタジアムというのも示しましたが、それはさておき、とりあえず都市型公園のことだけを、遺跡公園のことだけを、この特別委員会で議論をしてほしいということで間違いはないのでしょうか。


○(大矢総合政策室参事) 初めに申し上げましたように、今回、文化庁の方の史跡に対する見解が出ております。そういう中で、今回、私どもの方といたしましては、まず安満遺跡が、現実としてどういう状況にあるかということが、まずわからなければ重要遺跡、あるいは開発してもよいというような部分も見えないわけでございます。


 そんな中で、今、委員の方からのご指摘でございますけれども、都市型公園のその部分につきましては、今後、改めて市民、あるいは議会の方々にもまたご論議をいただきたいというふうに考えております。


 以上です。


○(野々上委員) ちょっといじわるな質問をさせていただきますが、今後、改めてというのは、どの段階になるんでしょうか。


 と言いますのも、今回、この都市型公園、またはこのガンバ専用スタジアム誘致計画ということで、やはり切り離しては議論ができない問題だというふうに思います。


 実際に、その公園整備と、一企業だったり、クラブチームの誘致ということは、性質が違ってくるのかもしれませんが、やはり前段として3年半ほど前に奥本市長が、前回の選挙公約で掲げられた構想が、具体的な絵をかいたイメージというのが、市民の皆さんの頭の中、そして私たち議員の頭の中にもあるわけです。


 それを、じゃあ切り離して議論をしてくれというのは、なかなか難しい問題であると思います。そして、この計画というのは、もう何年もかけてやっていくものですけれども、やはり一定、私たち議会、そして市長、4年の任期がある中で、一体、どういった形で、まず議論の俎上にすらのらない段階で、この間、進んできたわけですよね。


 総務消防委員会の協議会などでも、何度かご報告をいただきましたが、あくまで協議会報告ということで、議論ができないという段階で進められてきたわけです。そして今回、ようやくこの史跡整備の特別委員会に付託ということで落ちついたんですけれども。そこで、じゃあ今度はスタジアムのことはさておき、とりあえず公園のことだけ議論してくださいね、スタジアムはおいおい出しますというのでは、到底、議論する側としても納得がいかないわけなんです。


 そしてまあ、今、奥本市長にお伺いしました。やはり、これが、何度も奥本さん、奥本さんと連呼して恐縮なんですけれども、やはりこの問題というのは、何か市の中で議論が積み重ねられてきた、遺跡の保存というのではなく、やはり選挙の公約として、市長が市民の皆さんに大きく示されて約束をされたわけなんです。その意思がどうなのか。やはり、3年、4年たつ中で、この1期の任期間で奥本市長の具体的なアクションが見えなかったじゃないかという声が、市民の皆さんの中で高まっている中で、ようやくこういう委員会を設置されて進められていくのかということです。


 そこで、じゃあやるんですか、やらないんですかというふうに、市長自身にご答弁をお願いしたところ、お答えにならない。本当にやる気があるのかどうかということを、まず疑わざるを得ないという状況なんです。


 済みません、話がぐるっと1周しましたが、そこで、遺跡公園ということで、今回、この委員会へということなんですけれども、その前段となるガンバ誘致等々の議論というのは、どこでどういうふうに進められていくのか。また、私たち議会でも、どういった形で議論をしていけばいいのかということを、どのようにイメージされているかをお聞かせいただきたいと思います。


○(奥本市長) 今、言われた公約の分は、できるものなら一日も早くやりたい、これは当然のことでございます。しかし、客観条件としていろいろありますから、その辺の客観条件に対する対応を、まずやらないかんと。こういう手続論を、現在、進めておるところでございます。


 例えば、京都大学にしましても、まさか国立大学法人になるとは、その当時は思っておりません。本学の事務長さん等とも話をしてきておりますけれども、途中で国立大学法人化されたということによりまして、向こうの組織も非常に変わってきております、京大の中の組織も。


 いろんなこともありますし、それから、条件としまして、この農場というものと、それから遺跡という問題と、今後の利活用の問題、それらをあわせながら考えてきたわけですから、今後、そういうものが具体化できるようであれば、できるような条件になれば、当然、やりたいという意思は決して捨ててはおりませんので、よろしくお願いします。


○(野々上委員) ご答弁ありがとうございました。


 意思は捨ててないという答弁をいただいたんですけれども、一方で条件等々が整えばということで、やはり、私たち、この議会であり、委員会であり、そして市役所の中だけで議論をしていっても進まないという問題が、非常に大きく抱えられているわけなんです。


 そこで、どういった議論を積み重ねていくかということに関しては、やはりこの協議会をたらい回し、報告事項だけで済まされる。そして、ようやく落ちついた先が特別委員会で、史跡の部分とガンバの部分が切り離されているということでは、全体像としてのイメージがしにくいかと思います。


 どういった形で、私たち議会に議論を求めていただくか。また、市民的な論議を深めていくかということに関しても、遺跡です、ガンバです、別の問題ですというのを言われても、それは進めていく側の事情で、受け取られる多くの市民の方は、なかなかそのあたりの複雑な事情というのまでは、きっちりと伝わっていない状況にあると思いますので、今後の進め方等々も、公園整備の部分、そしてその先の部分ということも、きっちりと議論を積み重ねるようなことをしていただくようにお願いをしたいと思います。


 きょうの段階では、残念ながら去年の協議会等々で報告いただいたことから、具体的に対外的な状況で進んだことがないというようなことでしたので、このあたりにさせていただきたいと思います。


 ありがとうございました。


○(林委員) 市長の公約ということで、今、市長みずから答弁されましたけれども、一日でも早くやりたいと。それは当然、我々議員も政治家ですし、市長も政治家、公約を掲げたら、その公約をどう実現するかによって、我々もこの3年間、もう4年目に当たりますけれども、それぞれが選挙のときに公約、地域の問題、また行政、市、高槻市全体の問題ととらまえて、市民に対する約束を掲げて、この任期中、それぞれの議員活動として取り組んでおるわけで、当然、これを一転翻すようなことはできないし、それを事細かく説明していくのが、我々政治家の使命だと思うんです。それが、一つは、過去の経過を、先ほども言いましたけれども、総務委員会で先走った、そういう情報提供、先走った行政の案を提示されて、それでやっと議会を、言葉は悪いですけれども、巻き込むような委員会を設置をされて、それで、それを一緒に、市長の公約として根底に持った、そういった委員会というのは、私は議論は避けたいというふうに思います。


 それで、この案件1と案件2というのは、明確に違う。そして、この総合計画の中でも、位置づけとしては明確にされてない。総合計画の審議会の中でも、ここの安満遺跡整備、また芝生公園等についても、位置づけとしては、にぎわいのあるまちづくりだとか何とかいう位置づけはあるでしょうけれども、具体に、その裏づけとして、明確に総合計画の実施計画にもなかったわけです。やっとこの6月に、この史跡整備の安満遺跡の整備保存事業ということで、やっと実施計画の中に盛り込んだわけです。


 ですから、スタートの時点で、若干の差があるわけであって、議会に対する説明の中身についても、若干、我々議員の中でも差があるわけなんです。委員会で示された問題と、初めてきょう、特別委員会で説明された問題とやっぱり違います。受けとめ方が違います。ですから、市長の公約は公約として当然あるでしょうけれども、議会として、高槻市として、市民のための安満遺跡の史跡整備をしていくんだという位置づけだけで、案件1を中心として、私はこれからこの特別委員会の議論をしていきたいなというふうに思っております。


 経過の中で、先ほど、市長が言われましたけれども、京大の意向が明確でなければ、これはできませんというふうに言われました。当然でしょう。だから、そういった前提のもとで、私は市長にお願いしたいと思います。18日に京大に行かれて云々という報告がありましたけれども、そういった働きかけを、具体に、もっともっと積極的にプロジェクトでも組んで、市長の公約実現のためとか、そういうのじゃなしに、やはり高槻市の財産、高槻市の貴重な位置づけとして、どうこれから推進していくかということを、本当に外交戦として、高槻市民のため、高槻市の重要な位置づけとして、今、明確にこの北東地区の整備と、ちょうど線路を挟んで南北の大きな課題が、この議会でも示されているわけです。そういった点で、この南については、京大の意向というのが非常に大きなポイントですので、このことについて、1回行きました。初めてこれ、報告あったと思うんです。今まで京大の意向なんて無視して、高槻市がこういうふうにやりたい、こうしたいという絵だけを示されたわけです。それは、私は一番肝心なところが抜けてたんじゃないかなと思いますので、今後のその京大への働きかけについて、もう一度、明確な方針というか、それを市長が、どういうふうに思っているのか、ちょっと聞かせていただきたい。


○(奥本市長) 先ほども若干申し上げましたが、平成15年に選挙があって、公約ということで掲げたわけですが、その時点から後、本学の方の事務長等との話は進めてきたわけですけれども、実際問題としまして、国立大学法人化されてからは、こうした財産管理の、あるいはまた財産処分というような問題については、各学部の方へ移っております。


 そういう中で、学部の方と連携をとらなかった、とれなかったという点については、過日、行ったところで、こちらの方からは申しわけないということを申しておりますし、今後、農学部の方との意見交換等を続けていくということは、約束もしてきておりますので、いろいろと情報交換をしたり、意見交換をしたりして、進められるものはできるだけ進めていきたい、このように考えております。


○(林委員) 最後に、そういう受け身な立場でなしに、状況も当然、思ってもなかった法人になったという、そういう状況が変わる。こちらの状況も変わるわけです。市民の考え方も変わるし、議会の考え方も、いろいろ経過の中で変わってくると思う。そういった面を、変化の中でどう、市長みずからとして、政治家として進めていくのかいうことを、これが一つの大きな課題になってきますので、この委員会で、そういうあとの部分についての議論を余り先行されて言われても、私はこの委員会についての中身については、なじまないというふうに思いますし、施設整備についての努力を、もっともっとしていきたいなというふうに私は思っております。


 以上です。


○(川口委員) この経過のところで、サッカースタジアム、ガンバのことが出てますけれども、私どもは、やはり芝生公園までだというふうに理解をしておりますので、あとの後半については、理解できないということを、まず申し上げておきます。


 それから、今後の方向性ですね。この中で、史跡の指定以外の分については、財源等を考慮する中で公園化を進めるというのがありますけれども、この面についても、やはり全面に史跡指定を臨んで、公有化を図っていくべきだということを申し上げておきたいと思います。


 それから、京都大学を初め、関係者などに強く働きかけをしてまいるという課題があります。


 私も先ほど、京都大学の山田教授の話をしましたけれども、この3月でしたか、そのときは山田教授も移転の話とか、このガンバ球場の話とか聞いておりませんと。本学からも、そういう話はありませんという話をしておられました。


 だから、どこでこういう話が進んだのかということは、今までずっと疑問に思っておりましたけれども、先ほどの市長の話で、いろんな経過があるということで、そういう思いをしております。


 私としては、やはり積極的に買うということになればお金もかかるし、公有化の中で、この姿勢を貫いてもらいたいということで、これは要請をしておきます。


 それから、最後の都市型公園構想の基本的な方針というものが書かれておって、この史跡整備の特別委員会で、十分なご論議をお願いしたいというふうに書かれております。ということは、やはりこの史跡特別委員会でこの論議が深まらざるを得ないのかなというように思います。


 それで、参考資料で、我々、都市型公園整備構想の基本的方針の中で、具体的に、ガンバ大阪のことが出ているんですけれども、私もこの間、ガンバ大阪のプログラムが町じゅうにあふれてましたので、ちゃんと万博のホームゲームとか、いろんなのが、スケジュールも載ってますし、ガンバ大阪のホームスタジアムは、万博記念競技場であると。単年度契約であるとか、こういうことが載ってます。


 意向等の状況ということで、ガンバ大阪の意向としては、集客力は今以上に高め、よりサポーターとの一体感を生じるサッカー専用スタジアムを望んでいるということが書かれてまして、これは今、野球も、高校野球も盛んですし、サッカー、ガンバ大阪はこの間、トップになって、こちらも非常に盛んですけれども、やはり民間のスポーツ振興というものについて、それは民間のやるべきことであって、やはり民間は民間で独自に球場を備えて、民間の活力でやっていくというのは、一番基本だと思うんですけれども。そういう民間の活動に、高槻市が税金を投入して、スタジアムまでつくるという考え方はどこから出てきたのか、ちょっとそれを聞かせてください。


○(奥本市長) 球場を公的につくるというようなことは、一度も申し上げておりません。球場のつくり方につきましては、企業とか、いろんな面が協力をされてつくっておられるところがほとんどでございますけれども、公的なところが先導してやっているところもございます。いろいろタイプ、種類があるわけですから、そういう方向性につきましては、まだまだそこへ行く、到達するまでの段階でいろんな問題についてご論議をいただく中で、市はどういう状態の公園がよいのか。もしそこに私の意思として、サッカー場をつくりたいということが実現できるのであれば、どういう形がよいか、そういうことは今後、いろんな形で論議が出てくるものと思っております。


○(川口委員) できればというような表現をされたんですけれども、私もこのサッカースタジアムについては、二、三年前には豊田市のスタジアムも行ってきましたし、今月初めには鳥栖のスタジアムも見てきました。


 非常に、何百億とお金を投入して、維持管理にきゅうきゅうとしてますね。トヨタスタジアムでも、いろんな行事をやるために芝を入れかえてやってました。これを入れかえするのに100万ぐらいお金かかるし、もう大変ですわと言ってました。


 この間行ってきた鳥栖のスタジアムでも、1億か1億5,000万ぐらいの維持費がかかると。鳥栖の駅前にスタジアムがあるんですよ。そこに1,000台ぐらいの駐車場をつくって、それでも足らんから二、三百台の民間駐車場を借りてやっておるというような実態です。そこも維持管理が大変だということで、非常にきゅうきゅうとしておる状態も見てまいりました。


 だから、そういう中で、本当にこのサッカースタジアムという構想は、再検討の余地が十分にあるということを申し上げて終わります。


○(大川委員長) 質疑は尽きたようです。


 以上で本特別委員会を散会します。


   〔午後 0時 2分 散会〕








委 員 長