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北海道 厚真町

平成23年  3月 定例会 03月14日−03号




平成23年  3月 定例会 − 03月14日−03号









平成23年  3月 定例会



          平成23年第1回厚真町議会定例会

●議事日程(第3号)

                 平成23年3月14日(月)午後1時30分開議

   開議宣告

   議事日程の報告

第1 会議録署名議員の指名

第2 行政報告

第3 一般質問

   閉議宣告

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●出席議員(11名)

    議長  河村忠治君    副議長 井上次男君

    議員  木戸嘉則君    議員  下司義之君

    議員  木本清登君    議員  三國和江君

    議員  渡部孝樹君    議員  今村昭一君

    議員  海沼裕作君    議員  米田俊之君

    議員  木村幸一君

●欠席議員(なし)

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●地方自治法第121条の規定による説明のための出席者

 町長          宮坂尚市朗君  副町長         古川元三君

 教育長         兵頭利彦君   総務課長        近藤泰行君

 総務課参事       橋本欣哉君   町民福祉課長      加藤恒光君

 町民福祉課参事     長谷川栄治君  まちづくり推進課長   小松豊直君

 まちづくり推進課参事  岩田善行君   産業経済課長      中川信行君

 産業経済課参事     新飯田 治君  建設課長        堀 武志君

 上厚真支所長      高田芳和君   会計管理者       中田 匡君

 農業委員会事務局長   岡部 公君   生涯学習課長      佐藤好正君

 生涯学習課参事     佐藤照美君   農業委員会会長     小納谷 守君

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●職務のため議場に出席した者の職氏名

 議会事務局長      佐藤忠美    議会事務局主査     蛇池克広

 議会事務局主任     田中咲詠子

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△開議の宣告



○議長(河村忠治君) 議会を再開します。

 その前に、去る3月11日、午後2時46分に発生した東北関東大震災による被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。

 それでは、これより本日の会議を開きます。

                              (午後1時30分)

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△議事日程の報告



○議長(河村忠治君) 本日の議事日程は、お手元に配付のとおりであります。

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△会議録署名議員の指名



○議長(河村忠治君) 日程第1、会議録署名議員の指名を行います。

 会議録署名議員に木戸議員、下司議員を指名いたします。

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△行政報告



○議長(河村忠治君) 日程第2、行政報告を求めます。

 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) 今定例会中に起きまして、3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震及びそれに伴う津波の発生等による対応と被害状況について報告いたします。

 この地震災害の呼称につきましては、さまざまな機関でさまざまな呼称が使われておりますが、本報告におきましては、東北地方太平洋沖地震災害とさせていただきます。

 まず最初に、今回の地震及び大津波によって被災されました岩手県、宮城県及び福島県を初めとする東北及び関東地方の被災者の皆様に心よりお見舞いを申し上げるものでございます。

 また、今回の災害は、日本社会・経済の根幹をも揺るがす大災害となったことに、日本じゅうがあらゆる場面で混乱を来すことになっている状況に大変憂慮しているところでありますが、町民の皆さんの安全を最優先として取り組んでまいる考えでございます。

 本町の災害に関する状況でございますが、地震発生直後の午後2時49分に津波注意報、午後3時5分に津波警報が発令されましたので、同時に災害対策本部を設置し、防災無線で鹿沼地区及び浜厚真地区に避難指示をいたしました。

 その後、午後3時30分に大津波警報が発令されたことから、厚南地区の5地区564世帯に対して、防災無線で避難指示と同時に、上厚真小学校を避難所として開設するとともに、消防第2分団の協力を得ながら、その対応に当たったところであります。

 避難所には、11日の午後7時50分時点で最大142名の町民の方が避難されておりましたが、本町の沿岸部の苫小牧港東港では、午後3時40分に0.2メートル、午後4時17分に最大津波高さ2.5メートルが記録されて以降、徐々に波は落ち着いてまいりました。

 そのため、午後9時30分には、国道235号線から海側を除いて、避難情報に十分注意し、何か異常があった場合には速やかに避難できることを条件に、一部の国道235号線より北部の地域を避難勧告に切りかえたところでございます。

 避難所には142名の方が避難しておりましたが、一時帰宅される方が多くなり、最終的には7名の方が宿泊し、12日の早朝には6名の方が一時帰宅されました。その後、12日の午後1時54分には大津波警報から津波警報に切りかえられ、午後8時20分には津波注意報になったことから、午後8時30分に避難所及び対策本部を解散したところでございます。

 また、鵡川漁業協同組合厚真支所の対応では、15時30分に大津波警報が発令されましたが、漁業協同組合では、地震発生と同時に組合管内の全船に対し沖への退避措置を指令し、厚真地区におきましては、11隻中7隻が沖合に退避したとの報告を受けました。

 津波の第1波は、苫小牧東港15時40分で0.2メートル、16時17分には最大波となり2.5メートル以上に達しました。津波は繰り返し発生し、その後、苫小牧港東港19時34分の満潮時刻とも重なり、漁協厚真支所船だまりの岸壁を越え、19時ころより支所・事務所が停電するとともに、支所建物は地表面から70センチ程度まで冠水、支所に通じる海岸5号線が終点から約200メートル程度まで冠水したと推測されます。沖に退避していた7隻の漁船は、翌3月12日午前5時30分までに帰港し、全隻の無事を確認いたしました。

 被害状況につきましては、現在も確認作業を行っておりますが、漁船については、岸壁に係留していた4隻のうち2隻が津波の引き波の際、船だまりの底や岸壁に接し、部分的に傷がついたと推測されますが、詳細は現在も確認中であります。

 事務所については、10センチ程度の床上浸水となり、事務所内の暖房及び事務機器類が一部損傷、荷さばき所、水難救助施設の南側及び北側のシャッターがすべて津波に押され、シャッター下部が損傷、荷さばき所内の水槽が津波で浮き上がったことにより配水管が断裂、水槽滅菌装置及び製氷庫のポンプ装置が冠水、屋外の漁船給油用ポンプ及び荷揚げ用油圧装置が冠水、船だまりと事務所をつなぐ敷地面も一部えぐられている状況にあります。

 また、事務所北側に駐車していた組合員所有の車両8台についても部分的に冠水し、そのほか、漁具等についても被害が発生しております。なお、これらの被害見込み額は現在まだ調査中であります。

 今回の東北地方太平洋沖地震は、近代日本が経験したことのない未曾有の想像を絶する大災害でありますが、本町では幸いにも人的な被害は発生いたしておりません。

 今後につきましては、各関係機関と連携をしながら、災害復旧に万全を期してまいりたいと考えております。

 以上です。



○議長(河村忠治君) 行政報告が終わりましたので、これより質疑を許します。

 質疑ありませんか。

          〔「なし」と呼ぶ者あり〕



○議長(河村忠治君) 質疑なしと認めます。

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△一般質問



○議長(河村忠治君) 日程第3、一般質問に入ります。

 質問、答弁ともに簡潔かつ明瞭にされるようお願いいたします。

 それでは、前日の途中で中断しました下司議員の一般質問を許します。

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△下司義之君



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) まず、先週金曜日、一般質問の途中で大きな地震がありました。今、町長からの行政報告がありましたが、厚真町からも、この被災地に身内が行っているとか、大学の進学で、この地域に今頑張っている子供たちがいます。そういう意味では、全く他人事という感じがしなくて、テレビにずっとかじりついていて、本当に心配して、その様子をずっと見ていたということであります。被災地の方には、本当にこれからも頑張っていただきたいと思います。

 それでは、金曜日の続きになりますが、まちづくりの方向性ということで質問をさせていただきたいと思います。

 まちづくりの方向性ということで、その中の、分散型から集約型へ明確に方針を示すことも必要な時期ではないかということを通告の内容として挙げました。

 これは、小学校が2つ閉校しました。それから、この後のテーマにもなっていますけれども、これから保育園の問題も出てくると思います。そういった中で、町の機能というものを、やはり中心部に集中するということが、非常に市街地の活性化という意味からも大事ではないかというふうに思います。

 特に、町の中に子供がいつもいるということ、これは非常に町の活性化という意味でも、大事ではないかというふうに思っています。そういう意味では、今、子供たちの放課後生活を富野小学校にというようなことも出ていますが、今回の災害のこともあわせて考えると、やはり市街地に、身近なところに子供たちを置いておくということも大事ではないかと思います。

 この地震が発生して、本来であれば避難場所になるはずの学校から子供たちを早々に帰すというようなこと、これは以前に大雪が降ったときに、やはり同じようなことを学校の対応としてしました。なぜ避難場所に指定されているところから、わざわざリスクを抱えながら家に帰さなければいけないのかということが1つのテーマとしてはあるということは、そのときも議会でもテーマになったことだと思います。

 いろいろなことを考えていきますと、やはりまちづくりの方向性として集約をしていくということは非常に重要ではないかというふうに思いますが、町長はどのようにお考えでしょうか。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) 分散型から集約型へのまちづくりの転換ということでございます。

 厚真町が都市計画を持っていて、そして、市街化区域と調整区域という形にきちっと明確にまちづくりをしているということは、先日お話しさせていただきました。そういう中で、学校施設につきましても、それから子育て施設等につきましても、一番効果の上がる場所に設置しているつもりでございます。すべてを1カ所に集めればいいということではないのではないかなというふうに考えているところでございます。

 また、上厚真小学校も含めて避難場所に当たるところから、今回の災害におきましても、それぞれ自宅のほうに集団下校させたという経過もご指摘でございました。これについては、災害の情報がさまざま変化をしておりました。最初の段階では、まずは学校から自宅に戻すのが適切でないかということでございましたが、その後、気象庁のほうから大津波警報がその後出たということでございまして、それをもって、避難所の場所を厚南会館から上厚真小学校に変えたということでございます。

 私たちも経験のないことでございましたので、気象庁の情報に応じて適切に変えさせていただいたということで、多少子供たちにとっては避難の状況が前後してしまったということは、確かに反省すべき点だなと思います。

 これらについては、これから、ハザードマップに書いてもこざいますし、23年度には津波ハザードマップを作成する中で、地震に対する対応の仕方、これも明確にして、そして町民の皆さんと情報を共有させていただきたいと、そのように考えているところでございます。



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) いずれにしても、まちづくりということをずっと追いかけていくと、やはり町のにぎわいというのをどういうふうに演出するかという、どういう仕組みをつくれば町がにぎわうかというところに行き着くんですよ。そのときに、例えば置戸町では、高校を町の端に持っていって、それから寮を町の反対側に設置して、必ず高校生が町の中を歩くというような環境をつくって町をにぎわせると、そういうような仕組みづくりをしている。

 そういうようなことをあえて、子供たちの教育というか環境をという理由だけで、町のにぎわい、ただでも最近は町のにぎわいがなくなっているという中で、分散する必要が本当にあるのかということは、今後のテーマになってくると思います。

 時間もありませんので、このことについてはこれぐらいで終わりたいと思います。町のにぎわいということをぜひ、もっと真剣に議論していただきたい。それから、安全というものについても、安全の確保ということについても、いろいろな角度から議論していただきたいというふうに思います。

 次に、これは安心・安全という意味では同じようなテーマになるんですが、臨時職員の雇用安定策について質問をしています。

 内容は、町の臨時職員は1年未満の短期雇用となっており、これは町に限ったことではないんですが、行政のということでしょうが、生活を支える雇用環境とはかけ離れたものになっている。町内では就労場所も限られていることから、更新ごとに不安な状況に置かれているが、どのように考えているかというような通告内容です。

 この件に関しては、都会であれば、臨時職員の方が期間を切られて新しい職場を求めても、新しい職場を見つけることはできるんでしょうけれども、こういう厚真町のようなところでは、そのほかになかなか職場を見つけることができないというときに、今の法律の中でなかなか難しいということを、違う仕組みを考えて、その雇用の安定、それから給与の安定という仕組みづくりをできないでしょうかということなんですが、町長、いかがでしょうか。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) ご質問の内容に対する関係法令といいますと、地方公務員法がございます。地方公務員法の定めによりますと、その運用で拡大して最大限対応できる範疇で、厚真町としては臨時職員を雇用していると。その運用の最大限できる範疇の雇用ということで、6カ月を超えて1年未満の雇用をさせていただいているということでございます。

 議員のおっしゃったように、厚真町にふさわしい雇用形態、何とかならないのかというご質問でございますが、これは法律上かなわないことでございますので、ご理解いただきたいと思います。



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) 私の言っているのは、その仕組みづくりのことを言っています。ですから、現行法でかなわないということはわかっているんですよ。わかっていて質問をしています。

 例えばというか、こぶしの湯は指定管理者にしました。そうすることによって職員の身分も変わります。ほかの施設においても同じような仕組みを、ほかの仕組みをつくって対応できないかというようなことなわけです。

 例えば、これは次の保育所の関係にもあるんですけれども、既設保育所の臨時保育士の方は、必ず年に1回雇用期間が切れて、そして次の雇用があるかないかもわからない状態で、机の中も全部きれいにして、一度退職されますよね。そういうことを繰り返していくという不安な環境、これをどうにかして改善できないかというようなことも、1つのテーマとしてあると思うんですよね。

 ころころ人をかえられるような場所というのは余りないとは思うんですが、それでもどうにか対応できる職種と、そうではない職種と、そういったものがあると思います。そういう意味で、厚真町独自のそういった仕組みづくりというのを考えられないでしょうか。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) 議員のおっしゃったように、町職員を補完する臨時的な職員という形になると、これはできません。ただ、施設そのものをそっくり業務を委託する、現在の制度上は指定管理者、こういったものでは対応ができるということは私たちも承知しております。そういう意味では、できる限り、民間の方々に応援していただける、指定管理者を活用できる施設については、そのように指定管理者を有効に活用していきたいと。それによって、そこを請け負った事業所が安定的に雇用できるという仕組みになります。

 その辺は、これからも最大限配慮してまいりたいなというふうに考えてございます。



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) 指定管理者といいますと、施設自体の指定管理を指定するということになると思うんですが、施設自体の指定管理をしなくても、職員をどうにか、働いている方だけを指定するというような仕組みがつくれないかというようなことについてはどうでしょうか。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) 職員の業務を補完する臨時的な職という形で、例えば他の民間団体では、何々サービスという例で体制を補完しているということは私たちも承知してございますが、これは法的に、役場の場合はそれができないということでございますので、ご理解いただきたいと思います。



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) 他の団体の例を出されましたが、私の知るところでは、そのことに関しては違法状態であって、解消されるということになったようです。ですから、そこも違う仕組みを考えて対応しているんですよね。

 そういう意味では、新しい方法を、厚真町で新たに考え出したような方法でもいいと思うんですよ。そういったことを考えていくということも、これは、これから地域性というか、独自性を出していくとか、自立していくと、それから地方分権という中では非常に大事なことであると思うし、今までなかった事例を厚真で発信していくというようなことも考えるということもあってもいいんじゃないかというふうに私は思います。

 次に、最後の質問に入らせていただきます。

 保育に関する方針ということで、保育所に関する明確的な長期ビジョンを作成する必要があると思うがいかがかという質問、通告内容でございます。

 保育所に関しては、京町保育園の認定こども園へというテーマの中で、いろいろなことが実は議会にも報告されています。それから、アンケート調査もされています。しかし、この中に、アンケートの内容で、へき地保育所を閉園することについてどう考えるかとか、そういったことも内容としては書かれていますよね。

 このアンケート調査をあえて、へき地保育園を通さないで直接保護者にアンケート調査をしたということに関しても、実はへき地保育所のほうでは非常に不満が出ています。それと、いろいろなことが書かれていて、何となく、させてくださいねというような書き方をしています。それは何かというと、へき地保育所を閉園しますよというような方向性なんですよ。こういう、本当に不安をあおるような、こういうやり方というのは非常によくないと思います。

 それから、議会でへき地保育所の視察に行きました。私たちは、実は1つ覚えているんですよ、教訓として。それは何かといいますと、陶芸館、じゅらく舎に議会で視察に行きました。昨年だったと思います。

 私たちは全く知らなかったんですけれども、その次の年の予算で、管理的委託職員の人件費を予算に計上されませんでした。まさに、議会が裏づけをしたような所管事務調査になったということですよ。ですから、今回、へき地保育所を私たちは視察に行きました。これが、あたかも今後、へき地保育所が閉園になるような、そういう理由づけに使われるのではないかというふうに考えてもいるんですよ。

 もしへき地保育所を閉園するんであれば、もう年限を切って、いついつまでというようなことを、ぼやかしたような形でなくて、はっきりした議論をしていったほうがいいんじゃないかというふうに思うんです。いかがでしょうか。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) アンケートのとり方、それから委員会の町内の行政視察といったものと絡められて、いろいろと町内の関係する方々に不安を与えたのではないかというご指摘でございますが、これについては、そのような不安を感じられた方がいらっしゃるとすれば、本当に申しわけないなと思ってございます。

 ただ、正直に申しまして、7歳未満、ゼロ歳から6歳までの間の子供たちが厚真町に約210人、1年単位で考えますと35名平均ということでございます。その子供たちの全町の分布状況を考えますと、実際にはへき地保育所に通所するだろうと思われる子供たちが非常に少ない。北部のみつばに至っては、今現在ゼロということもございます。そういった状況は、いつまでもそれをオブラートにくるんで、だれかがアクションを起こすだろうということで人任せにするつもりはございません。

 今回は、京町保育所を認定こども園化すると。その過程の中において、それぞれのへき地保育所のあり方をきちっと整理するつもりでおりました。そういう意味では、実際に京町保育所の管内からへき地に通わせている親御さんの、そういった本音も聞きたいということで、アンケートの項目に入ったということでございますので、こちらの思惑と保護者の方々の、もしくは園を運営されている地域の方々に対しての説明、それから意思疎通は確かに足りなかったなというふうに反省してございまして、これも速やかに、今後の園の運営についても私たちの考え方を整理し、それから園を運営されている地域の皆さんとも協議をしてまいりたいというふうに考えております。

 以上です。



○議長(河村忠治君) 下司議員。



◆(下司義之君) これは、ぜひとも地域の方と、それから保育園の関係者の方と、しっかりした話し合いをしていただきたいと思います。やはり、保育士の方も不安ですし、それから地域の方も毎年、来年はあるんでしょうかというようなことを聞かなければいけないというようなことを避けていかなければいけないというふうに思います。

 安心で安全な町を目指して、こういうところにもしっかりした取り組み、やはり今回私たちがいただいた教訓は情報です。しっかりした情報が正しく伝わること、これがすごく重要だと思いました。

 以上で私の質問を終わります。



○議長(河村忠治君) 以上で下司議員の質問を終了いたします。

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△米田俊之君



○議長(河村忠治君) 次に、米田議員。



◆(米田俊之君) まず最初に、東日本震災に遭われた方々にお見舞い申し上げます。特に三陸地方の志津川町、それから栄村、津南町には、当議会としても視察してまいって、いろいろ学んできたところであります。早く復旧され、もとの町に戻っていただくよう願っています。

 それでは質問に移ります。

 先住民族のアイヌ埋蔵文化財についての質問をいたします。

 民俗名称のアイヌとは、彼らの言葉で人間という意味でございます。人間という意味は、生物的なヒトとは違い、人格を伴う大切な言葉です。和人とは、自分たちの隣人ということで、お互いが尊重し合って、ともによりよい未来を築いていたと考えられます。

 擦文文化の12世紀から13世紀、特に17世紀以降は、和人の一方的な支配の状態になっていまして、アイヌ文化の歴史、特に擦文文化からアイヌ文化の成立期など古い時期についてはほとんどわかっておらず、空白の歴史、ミッシングリンクと言われています。この厚真の発掘が、この部分の解明になるのではないかと期待を持たれています。

 アイヌ民族、アイヌ文化の歴史を調べる方法として2つの方法があります。1つは、和人が書き残した日誌や絵画などの記録を解く文献史学というものです。もう一つは、考古学からの再構築です。土の中に残った遺物などが、資料で年代的には古い時代から連続的に調べることが可能です。ですから、アイヌ文化期も調べることができます。ただし、アイヌ文化期の考古資料は、年代決定ができる資料が数的に乏しいのであります。

 近年は、炭素年代測定法によって、古い時代のアイヌ文化期も少しずつわかってきております。しかし、考古学の資料は客観性が高いものの、アイヌ民族の物質的文化の一部が残されているにしかすぎません。特に精神文化については推測の域を脱しません。より実像に迫る検証の方法として、文献史学や民謡学の研究成果も援用することで、さらに解明につながります。

 そこで、現在までの発掘調査でどのようなことが明らかになったのか。それから、宇隆の1遺跡で出土された中世陶器とはどのようなものであったか。まず、この2点についてお伺いします。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 埋蔵文化財関係のご質問でございます。

 今、質問の中で、アイヌ文化のことを中心にしたご質問かと思いますけれども、私たちの調査は平成14年から、ご存じのとおり、厚幌ダムの建設に伴う埋蔵文化財の発掘事業ということでやっていますので、原則的には、それぞれのアイヌ文化期だとか、いろいろな年代を追って調査しているわけではないということはご理解いただきたいなと思ってございます。

 それで、24年度の調査で9年目を迎えております。それで、9カ所の遺跡の発掘を現在まで行ってございまして、古いものでは、上幌内のモイ遺跡から1万4,500年前の旧石器時代のキャンプ跡などが発見されてございます。この時代から厚真に人が住み始めていたという状況も確認されてきております。それだけ厚真町は、いろいろな人類が長い歴史を持って、現在まで歴史を重ねてきたということも言えるのではないかと思ってございます。

 それと、平成15年度に幌内1遺跡の発掘調査が行われてございます。これは、現在のダムの堤体から上流約1キロほど上のところにありますけれども、そこからは縄文時代の約6,000年前の、厚真川上流から穂別だとか鵡川流域へ抜ける山越えルートなどのそういうルート跡も発見されてございまして、これから推測いたしますと、富良野とか夕張だとか十勝方面との交流も、この時代から行われていたということもわかってきてございます。この地区に住む縄文人たちは、大量のエゾシカですね、これを食料資源としながら、安定した生活を送っていたのではないかと思われております。

 それで、厚真町で遺跡が急増したというのは今から約1,000年前でございまして、擦文時代から、その後のアイヌ文化期等の歴史的な資料が出てきております。そういった中でも、やはり食料資源だとか、それをまた交易の資源として、いろいろな地域の方との交流も行われていたということでございます。それで、その中では、本州だとか朝鮮半島、極東ロシアでつくられた製品もこういった地域の中から出てきておりますので、相当広い範囲の交易・交流が行われてきたのではないかということはわかっております。

 それと、宇隆の1遺跡で出土した中世陶器のご質問でございますけれども、これについては、判明したのは常滑産のつぼということで、昭和34年2月に宇隆公民館の建設工事中に発見されたものでございまして、当時の厚真共同研究会の方が拾い集めていたものでございまして、長らく青森県産のつぼとして青少年センターに展示されてございましたが、ことしの2月に常滑市の民俗資料館の鑑定結果をいただきました。

 それで、最初に、これは展示していて、青森産のつぼとして青少年センターに展示しておきましたけれども、昨年の8月、岩手県平泉町の専門家から、愛知県産の常滑でつくられたつぼではないかというお話をいただきまして、この2月に常滑市の民俗資料館のほうに照会をして、鑑定をいただいたということでございます。

 その場合では、国内最北の常滑焼として確認されてございます。そして、これについては、こういう経過をたどっておりますけれども、当時、出土したときに発掘調査を行っていないということもございまして、二次的にどちらかから持ち込まれたものの可能性もあるというようなことも今言われてございまして、これらについては、今後そういった方々の、専門家の皆さんが、どうしてそこにそういうつぼが発見されたということは、今後また追跡的に調査をされていくのではないかと思っておりまして、そういう動向を見ながら、こういう資料の扱い方についても考えていきたいなと思ってございます。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 今後の常滑の部分については、今後の調査待ちということですが、もしそれがそういう常滑のつぼであるというような形であれば、やはり本州の部分の、和人というか人たちとアイヌの人たちが非常に盛んに交流されていたという品の1つになると思うのです。ですから、ますます、今までたしか、この常滑のつぼというのは、もっと本州のほうにしか見つかっていなかったと思うわけです。やはりそういう点からいって、もっともっと北海道のアイヌの人たちと交流があったというふうに思うわけです。

 ちょっとそれで、小学校で社会科を教えるのに、副読本「あつま」という部分があるわけです。この中に、大昔の北海道という部分が載っています。この文面を見ると、「北海道には古くからアイヌの人たちが住んでいました。そして、川や海の近くにコタンをつくって暮らしていました。やがて、和人が本州から津軽海峡を渡って北海道にやってきました。そして、アイヌの人たちとたびたび争いを起こしました。そのため、アイヌの人たちは次第に北のほうに住まいを移していきました。」と、こういう記述があるわけです。

 今の教育長の答弁からいろいろ推測すると、やはりもっと、これは以前のアイヌと、先住民の人たちと和人とが交流を持っていて、そして良好な関係の、そういう物とかそういうような交流もあったし、そういうようなものをやっていたということがわかると思うんですが、やっぱりこれ、先住民に対しての見方という部分では、やはり正確に伝えなきゃはならんと思うわけですけれども、こういう部分もやはり改訂していかなければならないと思うんですが、どうでしょうか。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 小学校の4年生が使っている副読本の関係でございますけれども、これについては、4年から5年に一度の改訂だとか全面改訂をして現在に至っております。23年度はちょうどその改訂時期に当たりまして、一部改訂ということで我々も考えて、必要な予算措置もさせていただいております。

 それで、この常滑のつぼだとか、発掘で出た資料の扱いの関係なんですけれども、その中では、副読本の改訂委員会というのを設置して、どういう形でどういうものを載せるかということについては検討させていただいております。それで、このつぼだとか、これまでわかってきたアイヌ文化だとか、縄文時代のそういう歴史的なものをどれぐらい取り扱うことかというのについては、その改訂委員会の議論を待ちたいなと思っています。

 それと、それぞれがどういう絡みでつながっているか自体もまだ明らかとなっていませんので、常滑のつぼにしても、アイヌ文化がもたらしたものかということも明確になっていないと思われますので、そういうものも今後の中で明らかにしながら、また3、4年生が知る上での必要な、どこまでなのかということも含めて検討させていただきたいなと思っています。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) やっぱり考古学というか、そういう部分が入るんですよね。そのときに、松浦武四郎という人が厚真に訪れて、そして、いろいろ記述があるんですよね。これ、たしか町史か何かにもいろいろあると思うんですけれどもね。トリカワコタンがとても栄えていたことがわかると。泊まった家には宝物を入れる漆塗りの箱が30個も、えぞ太刀が25振りも、この豊かさはニタップナイ遺跡の発掘成果と一致していると。

 武四郎はその後、夜食のアワ団子のおいしさに7つのうち2つを食べて、残り5つをあすの楽しみに包むとあると。こういうような形をいえば、やっぱり決して、そういう戦いという、この戦いが起こったというのは松前藩の後の時代が、松前藩を維持する部分で、いろいろアイヌのそういう人たちから、米1俵にサケ1,000匹と交換とか、いろいろな形で、やっぱり当時の先住民の生活自体もだんだん苦しくなってきたから、戦いが起きたのかなというふうに思っているんですけれども。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) いろいろな歴史的な背景、結びつきの関係でしょうけれども、ちょっと私どもの調査は、あくまでもその時点で明らかとなったものが、どういう背景でそこにもたらされたのかということだけしか、いまだ調査していませんので、その点、点に出てきたものがどういうつながりで一線となって出てくるのかという、そういう全体的な歴史的な背景全体を描いて、私たちは今、調査しているわけではございませんので、言われたことがどれぐらい結びつくかということについては、ちょっと今この場では申し上げられないと思います。

 まだ厚幌ダムの発掘調査自体がこれからも続きますし、まだ調査の大体4分の1程度が終わったという状況でございますので、そういう文化的な財産として扱うには、調査が終わって一段落してから、それらのものをどういうぐあいに活用するのかということは考えさせていただきたいなと思っています。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 町史をちょっと見ていきたいと思うんですけれども、町史の部分についても、先住民族の遺跡という部分がありまして、本村にもこれらと同様に古い時代の遺跡や遺物が今後発見される可能性が強いのであると。これらについても、将来の研究に任さなければならないというような形になっています。

 やっぱり、今、教育長の答弁では、全体がはっきりしてからというふうな答弁ですけれども、やはりこの部分も直していく必要がある。やっぱり明らかになった時点において、当然この町史の部分も、正確な部分の町史にしていくというような形が必要だと思うんですが、いかがでしょうか。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 今、町史の年表に載っているのは、約5,000年前ぐらいのものが最古として、これ以前にも人が住んでいたのではないかという表記になっています。先ほど申し上げさせていただきましたけれども、1万4,500年前のものも既に見つかってきているということでございますので、そういういったことからすれば、全体像が明らかとなって、考古学的にもきちっと証明されていけば、当然、そういう公の資料に載っているものの訂正というのも出てくると思います。

 ただ、今の時点で、調査段階ですので、そのことだけに限定して、これをやみくもにいじるということについては、ちょっと早計過ぎるのかなという気もしていますので、それは適切な時期を見て、相談させて決めさせていただきたいなと思っています。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) それでは、発掘品とか、それから古い農機具等、いろいろな部分で各小学校に保管されています。特に幌里小学校は傷みが激しいのかな、保管場所自体がですね。それから、やはり学者の考古学会の中においては、この厚真という部分が非常に有名であります。それで、やはり地域に足を運んで現場を見るというような形が、だんだん多くなってくるのかなというふうに思っております。

 それから、特に冬の場合、発掘した遺跡を、それをいろいろ洗ったり、それから、いろいろな形、作業員の人たちも結構います。そういう点で、決して新しいものを建てるということではございません。そういう、やはり将来に向けた形で、そういう保管場所とか整理場所を考えていく必要があるんじゃないかなと思っておりますが、いかがでしょうか。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 発掘品等の収蔵物の保管の関係でございますけれども、これについては今現在、幌里小学校、旧幌里小学校だとか旧鹿沼小学校、それと本郷の発掘事務所等で保管しているというのが実態でございます。教育委員会のほうでも、相当の量が出てきていますので、やはり適切な保管場所というのは我々も検討している最中でございます。

 それで今、町長部局のほうに町有地の利活用検討委員会というのが設置されておりまして、現在の閉校となる学校の跡地の利用だとか、公共施設の周辺、またその検討も行われておりますので、その収蔵物の扱いについても、閉校となる学校の活用だとか、この辺の公共施設の関係の中で一体的に整備できるのかを含めて検討させていただいていますので、そういうものの動きを見ながら、教育委員会としても最終的に判断をしていきたいと思ってございます。

 量的にも相当数に上ってございます。鹿沼小学校では2,400個ぐらいのコンテナがあるということでございますし、幌里でも1,800個ぐらいあるということでございますので、やっぱりこれはいつかの時点では、適切な保管する場所というのが当然必要になってきます。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 当然必要になってくるというようなことで、現時点での構想という部分では、はっきりとは決まっていないと。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) これについては、町長部局の町有地の利活用検討委員会の中で、教育用施設だとか閉校となる学校跡地を検討していますので、そういう中で我々も一緒に加わって、どういう場所にいつ整備できるのかという方向性はつけていきたいと思っていますけれども、それ以上踏み込んで、私どものほうでということには、今考えはまとまっておりません。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 次に、結構大学関係、特にこの近くでは駒澤大学ですか、そういう部分で足を運んで、そして研究というような形がされているようです。特に町外関係では、そういう大学関係の研究の場ですね。それから、やはり町内においては生涯学習の場、それから、いわゆる元小学校の、そういう学習の場という部分が、非常に活用している部分もあると思うんですけれども、これからの活用の方法はどんなふうに考えているのか。

 そして、もう一つ、町にもお聞きしたいわけですけれども、町として、こういう発掘なんかで、こういうまちづくりに対して考えはあるのかどうだろうか。特に、北海道の中では上ノ国町が、先進的な部分で、いろいろ取り組んでいる部分というものがあるわけですけれども、文化財というのは文化財産ということで、1つの資源というふうに考えれば、当然これは大いに活用すべきだと思うわけですけれども、お伺いしたいと思います。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 収蔵した、また発掘した、そういう成果品の扱いでございますけれども、これまでも大学の教授だとか、そういう専門家の方が見えられております。22年度でも33名、13回ほど厚真町に来られて、そういう歴史的な史料の調査等も行われております。それで、大学関係者は、それぞれの方の研究を1つの目標として来られていますので、それについては、できる範囲の限りで資料の説明だとか場の提供を実施してございます。

 また、学校教育のほうでは、主に小学生が社会科だとか、そういう教科活動の中で現地の場所を見たり、教育委員会も発掘体験活動なんかを長期休業中に企画していますので、そういう形の中で今後も、そのとき出た収蔵品については展示だとか公開するようにしています。また、教育委員会の事務所のほうでも、展示コーナーの中で毎年一、二回、そういう展示コーナーを設けておりますので、そういう形の中で、発掘調査が終わるまでは、そういう形を継続しながら進めていきたいなと考えております。



○議長(河村忠治君) 町長。



◎町長(宮坂尚市朗君) アイヌ文化も含めた埋蔵文化財を今後どうまちづくりに生かしていくかというご質問でございます。

 これも、今、厚幌ダムが建設するまでの間の埋蔵文化財の調査時期と、それからそれが終わった後の活用の仕方と、これはやっぱり完全に切り離して考えなければならないと思っております。厚幌ダムの建設が終了するまでの調査期間については、幸いに現地で実際に発掘されているものも現場を確認できる、それを見ることも体験することもできるという期間でございまして、この機会にいろいろな意味で、歴史というよりは現地にそこにあることを実感していただいて、体験していただいて、自分たちの今後の学習に生かしていただきたいなと思います。

 また、それを整理された後、調査が終わった後の活用の仕方というのは、全体の文化財の評価、それから保存すべきものを整理する、その中でどのぐらいの量を保存していくべきか、それによって活用の仕方も変わってくると思います。

 先ほど、教育長が話しましたように、どこに保管をし、どういう展示をしていいのか、これについても今、鋭意検討中でございまして、それを見ながら、今後のまちづくりに生かしていきたいなというふうに考えております。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 昨年はたしか福井県の修学旅行生を受け入れして、そして発掘体験等を行ったと思います。やはり、こういう機会をふやしていく、こうなれば、やっぱりグリーンツーリズムとも関係してくるのかなというふうに思っています。

 それから、今発掘しているという部分について、特に厚真共同研究会ですね、亀井喜久太郎さんが。その人のやっぱり努力というか、そういう発掘に対するいろいろな研究が、そしてその場合には、やっぱり松浦武四郎の記念碑において、そういうことがもとになって、今の発掘という部分で、かなり解明していく上で大きな力になったと思います。

 当時の共同研究会の資料を、お孫さんが非常に大切に保管しているわけですよね。そういうような解明もやっぱりやっていくことによって、新たな部分というものが明らかになってくるのかなと思っておりますけれども、いかがでしょうか。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) ダムの関係の埋蔵文化財の調査で、今まで私たちが知らなかった古いものも発見されておりますし、それがうちの町の、厚真町の歴史とどういうぐあいにかかわってきているかということについても、今後の調査の中で全体像が見えてくれば、今まで収集した歴史的なものを活用、もっと高まってくるのではないかと思っていますので、それは全体が終わった段階で、その成果を見ながら、適切な記録だとか、保存だとか、活用だとかというのを考えていきたいと思っています。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) 今、当時の共同研究会が残した資料をお孫さんが持っているんですよね。そういう部分についての、かなりの量だと思うんですけれども、そういう部分をやっぱり解明していくというのはどうなんですか。



○議長(河村忠治君) 教育長。



◎教育長(兵頭利彦君) 今現在持たれている方については、現在、教育委員会でもきちっとしていませんし、それがどういうものなのかということも確認されていませんので、それについては直接、それを持たれている方とお話し合いをさせていただいてみたいと思います。お話し合いをしながら考えていきたいと思います。



○議長(河村忠治君) 米田議員。



◆(米田俊之君) より、いい発掘調査に期待して質問を終わりたいと思います。



○議長(河村忠治君) 以上で米田議員の質問を終了いたします。

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△散会の宣告



○議長(河村忠治君) 以上で本日の日程を終了いたします。

 本日の本会議はこれにて散会いたします。

                              (午後2時33分)

地方自治法第123条第2項の規定により署名する。

        議長

        署名議員

        署名議員